私が色々な会社を拝見して、内心危険だなと思う組織の兆候の一つに、その会社に無尽蔵に職種や役職がある場合です。「一体この職種は何をするのだろうか」、「こんなに細かく役職が必要なのだろうか」。外部の人がぱっと直感的にそう思う職場というのは、やはり職種や役職などの肩書が「過剰になっている」と私は思います。なぜなら多くの場合、組織の肩書というのは、「社内の都合」に寄り添っていることが多いからです。

その職種や役職は、本当に組織にとって必要なのか

 私は割とフラットな組織、肩書の少ない組織の方達と仕事をすることが多いです。例えば社会人1年目からそのような会社に勤めていた人は、肩書など特に気にしない人が多い。一方で、肩書を多用している組織にかつて勤めていた人が、フラットな組織に転職してきた場合に、「やはり肩書が欲しい」という人達が一定数います。その理由を聞いてみると主に二つあると感じます。

・肩書がないと相手先から舐められてしまう
・肩書によってモチベーションを保てる

 つまり逆読みすると、その方達は、「肩書がないと相手先の担当者を舐めてしまう職場」、「肩書がないと、とてもモチベーションなど保てない職場」に勤めてきたのだろうと思います。実際に相手の名刺を見て「え、肩書ないんですか」、「あなたで責任とれるんですか」と言う人もいるようです。社内の人間同士でも、ちょっとした役職の違いでマウンティングしたがるような職場もあることでしょう。そのような職場にいた人が、キャリアが何年も違うのに、名刺の肩書は「〇〇担当」と同じ表記だという場合に戸惑い、頭では理解していていも慣れないということもあるのだと思います。

 メンタルが強い人であれば、笑顔で「あ、今私の名刺見て不安に思われました?」、「うちの会社は取締役以外、全員肩書がないので名刺の発注も楽だと総務が言っていますよ、ハハハ」と外部の人には言い切ってしまえばいい話。社内の人間同士も、年齢やキャリアに関係なく普通に敬意を払い合える関係性になればいいのだと思います。ただ、全員がそこまで強くないのです。

 だからといって、「では、相手先に馬鹿にされないようにかっこいい役職を作りましょう」ということになると、どうなるでしょうか。「部長、課長、係長、室長、マネージャー、ディレクター、コントローラー、バイスプレジデント……」。やりだしたらきりがなくなります。

 職種名についても同じです。近年は少し海外で目新しい職種名が登場すると、企業はすぐそれを取り込んで名乗り始める傾向があります。私は日本語教師の資格を持っているのですが、これは日本語の特徴にもそれを誘発する理由があります。日本語は「カタカナ」で外来語を簡単に取り込めてしまう特徴がありますが、他の外国語は、他国の言語を日本語ほどは簡単には取り込めません。そのため、海外では、日本の組織ほど職種名が百花繚乱にはなっていないと思います。

 本当にその組織に必要な職種、役職だったら、全く問題ないと思います。ただし、「気分が上がるから」、「相手に舐められないから」という理由だけで、肩書を無尽蔵に増やそうとすると、副次的に悪影響が組織に出てきます。それは、別になくてもよかったポジションが、知らず知らずの内に、「このポジションは絶対に組織になければならない」と皆が思い込むようになってしまうことです。