(坂井 豊貴:慶應義塾大学経済学部教授)
2020年10月12日午後6時45分。私はNHKの局内で、 経済部の人々と一緒に、ノーベル経済学賞の発表を待っていた。私の役目はその年の受賞者や受賞理由を説明することだ。我々はスウェーデンの発表会場が中継されるモニター画面を眺めている。会場にはまだ選考委員が到着していないが、すでに世界各国からの記者で熱気にあふれている。
やがて記者会見に臨む選考委員会の少数名が、会場に入ってきた。いったい誰が来るのだろう。ああ、アンダーソンがいる。選考に深く関係した選考委員しか、この会場までは来ない。今年は遂にミルグロムだ。ミルグロムと同じく理論の実用化に注力するアンダーソンなら、偉大なる先駆者ミルグロムをどうしても選びたいだろうから。
選考委員らが着席。すべての記者の雑談が止まり、会場は静まりかえった。走る緊張。選考委員長のフレデリクソンが受賞者と分野、そして受賞の理由を読み上げた。 オークション理論の発展と新方式の開発について、ポール・ミルグロムとロバート・ウィルソンにノーベル経済学賞を授賞するとのことだ。会場には小さなどよめき。より専門的な内容についてアンダーソンが解説を始めた。きっと選考委員1年目の彼は、自分がなすべき仕事をできたことについて、一定の安堵と興奮を覚えているだろうと勝手に想像する。
蓮實重彦は随筆「文学の国籍をめぐるはしたない議論のあれこれについて」で、「そもそも、ノーベル文学賞というものは、スウェーデン・アカデミーというあくまでお他人様が集団的に演じてみせる恒例の年中行事」だと呆れるように述べた(『随想』に所収)。おっしゃる通りである。そのうえで、このお祭りのような年中行事に、私を含む多くの経済学者は結構な関心をもつ。