皇居の桜

 今年も75年目の終戦記念日を新型コロナウイルス感染症の渦中で迎えたが、その影響で例年よりは静かだった気がする。

 とりわけ、個人的には「中国共産党・習近平総書記の国賓としての来日」が延期になったことは天祐ではないかとさえ思っている。

 それはさておき、思い起こせば、75年前の8月は日本民族が有史以来、蒙古襲来時と共に、存亡の瀬戸際に立たされた極限状態であった。

 よくもその日を乗り切って生き延びることができたと空恐ろしい気がするのは私ばかりではあるまい。

 その奇跡を乗り切ることができたのは昭和天皇陛下のお陰と感じ、改めてその偉大さ・勇敢さによるものと、感謝以外に適切な言葉を見出すことができない。

 それはポツダム宣言受諾の『終戦の詔勅』が出される前日、8月14日午前10時30分に天皇陛下が重臣を集め、決意の訓示をされ(下記内容を)お示しになったことだ。

軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌(下)』から引用の訓示

自分ノ此ノ非常ノ決意ハ変リナイ。内外ノ動静国内ノ状況、彼我戦力ノ問題等、此等ノ比較ニ附テモ軽々ニ判断シタモノデハナイ。此ノ度ノ処置ハ、国体ノ破壊トナルカ、否(しか)ラズ、敵ハ国体ヲ認メルト思フ。之ニ附テハ不安ハ毛頭ナイ。唯反対ノ意見(陸相、両総長ノ意見ヲ指ス)ニ附テハ、字句ノ問題ト思フ。一部反対ノ者ノ意見ノ様ニ、敵ニ我国土ヲ保障占領セラレタ後ニドウナルカ、之ニ附テ不安ハアル。然シ戦争ヲ継続スレバ、国体モ何モ皆ナクナッテシマヒ、玉砕ノミダ。
今、此ノ処置ヲスレバ、多少ナリトモ力(ちから)ハ残ル。コレガ将来発展ノ種ニナルモノト思フ。

―以下御涙ト共ニー

忠勇ナル日本ノ軍隊ヲ、武装解除スルコトハ堪エラレヌコトダ。然シ国家ノ為ニハ、之モ実行セネバナラヌ。
明治天皇ノ、三国干渉ノ時ノ御心境ヲ心シテヤルノダ。ドウカ賛成ヲシテ呉レ。之ガ為ニハ、国民ニ詔書ヲ出シテ呉レ。陸海軍ノ統制ガ困難ナコトモ知ッテ居ル。之ニモヨク気持チヲ伝ヘル為、詔書ヲ出シテ呉レ。ラヂオ放送ヲシテモヨイ。如何ナル方法モ採ルカラ。

 何と勇敢にして日本国民を思う慈悲に満ちたお言葉であろう。個人的にこのお言葉を長らく知らなかったが、拝読するたびに涙が止まらない。