「繁栄への平和プラン」が受け入れられた背景

 ここまでくる背景に、中東の「繁栄への平和プラン」の存在があった。

 2020年1月3日に起きたイラン革命防衛隊コッズ部隊のソレイマニ司令官の殺害は、イランによるイラクとイエメンでの活動を大きく制限する効果があった。日本のメディア報道とは裏腹に、イランは報復攻撃を今も仕掛けられずにいる。

 この「繁栄への平和プラン」はその直後に発表された。これまでの和平への努力との違いは、政治編と経済編に分かれており、これまでのような一つの目的のために他を犠牲にするやり方ではなく、包括的にこの地域の問題を解決しようとしている点だ。

 例えば、1993年のオスロ合意では、ヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)の和平のためにイスラエル国防軍とパレスチナ代表軍が協力することにして一定の成果を出したのは事実ながら、ガザ地区の問題やパレスチナ難民の問題は全く解決に向かわなかった。

ヨルダン川西岸のイスラエル人入植地(写真:AP/アフロ)
ヨルダン川西岸のイスラエル人入植地(写真:UPI/アフロ)

 また、当時のPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長が、米国内に個人資産を隠し持っていたことがやがて明らかになるなど、胡散臭い話も常について回った。

 これに対して、「繁栄への平和プラン」は、パレスチナに100万人の雇用を生み出すとしている点が従来と全く異なるほか、エジプト、ヨルダン、シリアの近隣諸国への対応にも触れており、イスラエル周辺の国々全体を経済的に底上げしようと考えている。

 しかも、どの国に対するプランも1~10年のマイルストーンを設定しており、全てのプランが相互して実務的に前進することを考えている。
 
 政治の面では、現時点での占領地区をお互いの領土とし、それについては米国および関係国の監視のもとに守っていこうとしている点、「2つの国家を認める解決策」に特徴がある。アラブ諸国が食指を示したのも、経済復興への努力もさることながら、こちらの方にあると言われる。すなわち、1948年のイスラエル建国からの最大の問題である「パレスチナ人の領土」の所有を正式に認めたのだ。

 トランプ政権が、これをイスラエルに認めさせた以上、アラブ諸国にこの提案を無視する大義がなくなる。しかも、パレスチナ難民が国連の関連団体などから受けている巨額な寄付の多くは穏健アラブ諸国が拠出しているものの、今では第三国に家があっても難民登録する人もおり、全く先が見えないとの不満も出ていた。アラブ諸国については願ってもない提案であったとも言えるだろう。