オーストラリア戦争記念館に展示されている旧日本軍の特殊潜航艇(2019年11月11日)

(紀谷 昌彦:在シドニー日本国総領事)

 2020年6月1日、オーストラリア・NSW(ニューサウスウェールズ)州ではパブやレストランの50人までの入店や州内の旅行が認められるなど、規制が大きく緩和されました。社会がいよいよ「コロナ後」に向けて動き始めました。

 この日は、実は日豪の歴史にとっても大事な日です。今から78年前の1942(昭和17)年5月31日夜から6月1日未明にかけて、日本軍の特殊潜航艇がシドニー湾を攻撃し、豪側は水兵21名、日本側は乗員6名が犠牲者となりました。

シドニー湾の位置(Googleマップ)
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 6月1日の朝、シドニー湾のクッタバル海軍基地で、日豪双方の犠牲者のために追悼式典が開催され、私は日本政府代表として献花を行いました。日豪両国は、この攻撃の当時は敵国同士でしたが、戦後は友好関係を発展させ、今では安全保障・防衛分野でも緊密に協力しています。追悼式典に出席して、時の流れを実感しました。

 今回の総領事通信では、この追悼式典の様子を皆様にお伝えするとともに、日本軍の特殊潜航艇のシドニー湾攻撃から現在に至る歴史とその意義を、皆様と一緒に振り返りたいと思います。

クッタバル号沈没追悼式典。右から2人目が筆者(2020年6月1日、豪海軍)