これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)。
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昭和52年~53年:30歳~31歳(第3回)
父親との口論から1か月後、恭平は会社に辞表を提出した。
受け取った槌谷制作局長は慌てて恭平を応接室に通し、矢継ぎ早に詰問してきた。
「何が不満なのだ?給料か、クライアントか?どこの会社から声を掛けられたんだ?」
「いや、何の不満もありませんし、他社に移る訳でもありません。父親の経営する弁当会社に転職するだけです」
「辞めるときには、誰もがそんな都合の好いこと言って辞めるんだよ。でも、狭い世界だから、どこかで遭って、お互い気まずい思いをするんだよ」
「違いますよ。本当に広告業界から足を洗って、広島へ帰るんですよ。広島に帰って、弁当屋の専務になるんです」
「そうか、専務になるのか、30歳で専務か。俺は52歳になっても役員になれないが、親が社長だと30歳で専務になれるのか」
「……」
やたら役職にこだわって、やっと納得した槌谷局長は渋々ながら辞表を受け取った。
退職を決めたものの、そのまま帰郷していきなり専務の肩書を背負うことに危惧と戸惑いを感じた恭平は、少しでも外食産業の実態を経験しておこうと考え、新聞に折り込まれていた求人チラシで見つけた、ファミリーレストラン「すかいらーく」に応募した。
履歴書を送って1週間後、書類選考の合格と面接日を告知する通知が届いた。
午前10時から立川駅の近くで実施される試験は、昼には終わるだろうと高を括り、昼飯は家族を誘って試験場近くのすかいらーくで食べるつもりで家を出た。