(文:上昌広)
政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が議事録を作成していなかったことが話題になっている。
加藤勝信厚生労働大臣は、「第1回会議で、専門家に自由かつ率直に意見してもらうため、発言者が特定されない形の議事概要を作成する方針を説明し了解された」と説明しているが、これは国民の常識と乖離する。
どのようなデータにもとづき、どのような議論の末、緊急事態宣言となったか、多くの国民が関心を持っている。もし、匿名でしか発言できない専門家がいたとすれば、委員を降りてもらえばいい。どうして、こんな理屈が罷り通るのだろうか。
議事録問題は、日本の医療行政の宿痾を象徴している。厚労省による国家統制が「ムラ社会」を産み出し、ガバナンスが欠如する。国民そっちのけで、提供者の都合ばかりが優先される。
新型コロナ対策は、世界中が優秀な人材と巨額の資金を投入しているのに、これではついていける筈がない。本稿では、ガバナンスの視点から新型コロナ問題を論じたい。
日本の驚くべき「臨床研究力」の弱さ
まずは、日本の対策が迷走している理由だ。
最大の問題は、臨床研究力が弱いことだ。新型コロナは未知のウイルスだ。その性質を明らかにしなければ、対応の仕方もわからない。
厚労省は「3密」(密閉空間、密集場所、密接場面)を打ち出し、メディアも無批判に報じつづけているが、このスローガンはもはや時代遅れだ。
当初、このウイルスは、インフルエンザや風邪ウイルスのように鼻腔や咽頭で増殖し、咳や痰で周囲に拡散すると考えられていたが、その後の研究で唾液に大量に含まれることが判明した。大声で話し、唾が飛ぶことで周囲に感染させる。
確かに密閉空間、密集場所も危険因子だが、大声での会話とは比べものにならない。満員電車の集団感染は報告されていないが、屋形船、居酒屋、カラオケ、さらに合唱団、相撲、剣道などで集団感染が生じたことも説明がつく。
密閉空間、密集場所と密接場面を区別して議論している人は、果たしてどれくらいいるだろうか。
最近の『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』や『サイエンス』などの医学誌や科学誌には、飛沫やエアロゾルによる感染の論文が多数掲載されている。世界の研究者の関心が、ここに集まっているのがわかる。ところが、日本は「3密」から一歩も進んでいない。
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