上記はロシア側の情報操作ですが、日本側の情報操作にも注意が必要です。

 雑誌『選択』は無署名記事なので誰が書いているのか不明ですが、ロシア関連では事実と異なる反露を旨とする評論が多いので要注意です。署名記事であれば、著者はボコボコに叩かれることでしょう。

 実例を挙げます。

『選択』(2020年5月号28頁)に「1980年代前半、反共のレーガン米政権はソ連軍のアフガニスタン侵攻に対抗するため、サウジアラビアに原油大増産を依頼し原油価格を下落させ、ソ連経済に打撃を与えた」と書いてあります。

 サウジアラビアは米大統領の要請を受け1980年代前半に原油を大増産して、その結果として油価が下落したことになっています。

 同じ局面を同誌72頁には、「OPECの生産調整の不調で減産を一手に引き受けることになったサウジアラビアが忍耐の限度を超え、大増産に転じたことで起きた原油大暴落である」と記述しており、油価大暴落はOPEC内部の問題と説明しています。

 どちらが正しくて、どちらが間違っているのかは言うまでもありません。

 1973年の第1次オイルショックを契機として、それまでバレル約3ドルであった油価が1974年には$10台に急騰。1980年には$35まで上昇後、油価が下落する兆候を見せたので、サウジアラビアはOPEC諸国に原油協調減産を呼びかけました。

 サウジアラビアは率先して減産したため油価暴落は起こらず、徐々に油価は下がっていきました。

 ところが他のOPEC諸国やソ連は減産に応じず、結果としてサウジアラビアは世界の石油市場においてシェアを減少するという一番損な役回りとなり、これがその後、同国のトラウマになりました。

 怒り心頭に発したサウジアラビアが1985年9月に原油増産方針を発表すると、油価は大暴落。これをグラフで示せば以下のようになります。

(mbd=100万バレル/日量)

(出所:英BP World Enegy Outlook統計資料/1991年まではソ連邦、1992年以降ロシア連邦)