米国シカゴの自宅から遠隔授業の準備をする中学教師(写真:ロイター/アフロ)

(岡村 進:経営コンサルタント、人財アジア代表取締役)

 テレワークという言葉が社会に浸透し始めてはや2カ月である。

 経済同友会の元代表幹事で、三菱マテリアル会長の小林喜光氏は、4月の緊急事態宣言発令から1カ月は、会社に寄り付かなくなったという。会議はすべて自宅からのリモート参加。聞くだけでよい会議はスマホを持って、公園を散歩しながら参加していたという。今後はこんな風景が日本でも広がっていくのだろう。

 しかしよくよく考えてみれば、アメリカでは以前から当たり前の光景だ。20年ほど前に仕事で米国の超大手食品メーカーを訪問したときのことを鮮明に覚えている。そもそも本社が大都市から遠い郊外の何万坪もある敷地にそびえているのに度肝を抜かれた。広大な庭には彫刻なども置かれ一般市民にも開放されていた。いまでも緑の青さを忘れない。「どれだけ素晴らしい環境で働いているんだ!」とうらやましくも思った。実際に商談が始まると世界の拠点が画面で繋がれ激論が始まるのだが、自宅から急遽参加したメンバーもいたと記憶している。場所に縛られない働き方の事例は枚挙にいとまがない。

 コロナショックに直面してから、「やれ、変革だ」「働き方改革だ」と議論が広がっているが、海外では平時にも既にその仕組みが組み込まれているのが一般的だ。危機に迫られて重い腰を上げる日本の姿は、ちょっと心もとない。

降って湧いた「9月入学論」は本末転倒

 私は、もともと生き馬の目を抜くグローバルビジネスの修羅場で、何度もノックダウンされては立ち上がってきたから、今はもう危機を前にひるまなくなった。しかし、その強さは、行き当たりばったりの豪放さや大胆さとは全く異なるものだ。危機時こそ、日常的に真摯に仕事と向き合った成果が顕在化すると確信している。晴天でも雨の心配をする、即ち好調な時こそ気を引き締め、万が一のリスクにも備えるのが経営だ。まさに日頃の細心さが危機時の大胆な決断を支えるのだ。