サイエンスの後付け、補強作業
「中村モデル」の大本は、極めて薄い溶液(希薄溶液)の中での化学反応の速度を、速度係数と呼ばれる量に「接触削減」と同様の効果を持たせて計算したシミュレーションから出発されました。
さらに、計算の過程では、数理物質科学の専門家としてモデルを組み、東京大学理学部数学科の稲葉寿さんが書かれた解説「微分方程式と感染症数理疫学」(https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~inaba/inaba_science_2008.pdf)や、現在話題の人となっている西浦博氏と稲葉さんの共著「感染症流行の予測:感染症数理モデルにおける定量的課題」(https://www.ism.ac.jp/editsec/toukei/pdf/54-2-461.pdf)などを参考に検討してまとめられたもので、専門家の批判的検討を乞うものとして、広く公開されています。
あえて言うなら「専門家委員会」が天下りで出してくる「ブラックボックス」型の結論が本当に正しいものであるかを「追試」し、専門の議論と突き合わせて検討、結果を広く世に問うものとなっています。
こうした姿勢が、狭く「専門家」だけに集中するのでなく、広く科学者全般、さらには社会一般に開かれた姿勢として有効、重要であることは、3.11福島第一原子力発電所事故の時点で、日本社会はいやというほど痛感したはずです。
中村モデルのリリース姿勢は、それを踏まえた、オーソドックスな科学成果の社会への問いかけになっています。
国民を信頼しない天下りで疫病は防げない
つまり「中村モデル」の元となる計算は、厚生労働省「専門家チーム」などの発表に対して、まともにサイエンスに関わる人間なら、100人が100人持っていた「不満」から出発しているわけです。
「原子力村」という言葉と並べて「村」と呼ぶつもりはありませんが、現在の日本政府の対策は、あまりにも「専門家委員会」の名で括られた、一部の見解に限局されています。
それを受けて発せられるはずの官邸からの指示も純然たる予防公衆衛生措置から、マスクの配布、経済支援まで、率直に申して原則を欠き、ダッチロール状態であるのが、誰の目にも明らかです。
科学的な根拠を明示し、政策の妥当性を予測しながら進めないと、少なくとも新型ウイルスの蔓延に伴う感染者増、犠牲者増を食い止めることなど、できるはずがありません。
厚生省発の「予測」「8割」などは、科学的な発表の基本要件を満たしていません。
「西浦計算」やそのグラフなどは、モデルの中身が伏せられているので、何を仮定しているか、あらゆるサイエンティストにさっぱりわけが分かりません。