SNSを発信源とした新型コロナウイルス関連のデマや根拠のない様々な噂が、驚異的なスピードで飛び交う昨今。なぜ人々はこうしたデマに振り回されるのか。19世紀のおわり、フランスの心理学者がすでにそれを予見していた。ギュスターヴ・ル・ボン氏の名著『群衆心理』は、時を超え、われわれSNS社会を生きる現代人に鋭く訴えかける。(JBpress)
(※)本稿は『群衆心理』(ギュスターヴ・ル・ボン著、桜井成夫翻訳、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。
荒唐無稽な伝説が流布する理由
群衆は、どんなに不偏不党と想像されるものであっても、多くの場合、何かを期待して注意の集中状態にあるために、暗示にはかかりやすいのである。一度暗示が与えられると、それは、感染によって、ただちにあらゆる頭脳にきざみこまれて、即座に感情の転換を起こすのである。暗示を与えられた者にあっては、固定観念が行為に変化しがちである。
宮殿に放火する場合にせよ、あるいは献身的な事業を遂行する場合にせよ、群衆は、同一の無造作をもって、それにうちこむ。すべては、刺戟の性質如何によるのであって、単独の個人の場合のように、暗示された行為と、その実現に反対する理性作用全体とのあいだに存する関係如何には、もはやよらなくなるであろう。
それゆえ、群衆はたえず無意識の境地をさまよい、あらゆる暗示に従い、理性の力にたよることのできない人々に特有なはげしい感情に活気づけられ、批判精神を欠いているから、何のことはない、物事を極度に信じやすい性質を示すのである。群衆にとっては、およそ真実らしくないと考えられるものなどは、存在しないのである。世にも荒唐無稽な伝説や説話が、どんなに容易に生み出されて普及されるかを理解するには、このことをよく記憶せねばならない。
群衆のうちに、極めて容易に流布する伝説が生み出されるのは、単に、物事を頭から信じこむ性質の結果とばかりはいえず、集合した個人の想像力によって、事件が驚くべき変形を受ける結果でもある。極めて単純な事件でも、群衆の眼にふれると、たちまち歪められてしまう。
群衆は、心象(イマージュ)によって物事を考える。ところで、心象がいったん喚起されると、今度は最初のとは少しも論理的関係のない、他の一連の心象が喚起されてくるのである。何かある事実を思い出すと、往々妙な連想が起こってくることがあるのを思えば、このような心理状態も容易に納得できる。
理性がこういう心象の支離滅裂さを示すのであるが、群衆にはそれがわからないのである。想像力の変形作用が事件につけ加えるものを、群衆は事件そのものと混同する。そして、主観と客観とを区別する能力を持たないから、心中に喚起された心象が、多くは観察された事実と縁遠い関係しか有しなくても、その心象を現実のものとして受けいれるのである。