2019年に注目を集めた映画『ジョーカー』。アメコミ「バットマン」の宿敵誕生の秘話をスピンオフ的に描いた作品だ。第76回ベネチア国際映画祭でグランプリ(金獅子賞)を受賞し、第77回ゴールデン・グローブ賞では主演のホアキン・フェニックスが主演男優賞を受賞し、第92回アカデミー賞でも主演男優賞を獲得した。道化師のメイクをした極悪非道の悪のカリスマは、いかにして現れたのか。映画は視聴者に多様な受け取り方ができるストーリーになっているが、要素として貧困、障がい、格差といった「弱者の物語」が織り込まれている。
主人公アーサー・フレックは精神障がいを持ち、貧困にあえぎながら不安定な職についている弱者だ。母子2人だけの家庭で年老いた母の世話も担っている。カウンセリングや薬の処方など社会福祉プログラムを受けていたが、市の財政難によって福祉が打ち切られてしまう。さらに職も失い、トラブルに巻き込まれていく中で、母が脳卒中で倒れて入院してしまうのだ。
筆者は映画を見ながら「このシーンで別の対応があったら」「ここで手を差し伸べられたら」と思わずにいられなかったし、行政でも医療者でもない自分に何ができただろうと考えてしまった。家庭、職場、隣人、福祉、地域などあらゆるつながりから転がり落ちてしまったアーサー。これは映画の中にとどまらず、われわれの社会に今ある現実であり、自分もそうなる可能性がゼロではない。特に障がいのある主人公が重病になった親を看なければならなくなるシチュエーションは、障がい者家族の高齢化や老老介護、ダブルケア、ワンオペ育児、介護者ががんなどに罹患する問題が重なって見える。
支える側が弱者になった時、どうやったらSOSを出し、助けを得られるだろうか。「支援者支援」という、障がいで支援を必要とする人を介護する家族や職業の人たちをサポートする「特定非営利活動法人 サポートひろがり」(神奈川県川崎市)の代表者、山田由美子さんにお話を聞いた。