ところが、「金敬姫氏健在」の一報が世界を駆け巡った直後、ある元北朝鮮の高官は、「金敬姫はすでに毒殺されており、三池淵劇場に現れた人物は、金敬姫の代役だ」と語った。その証言の主は、朝鮮労働党中央委員会(党本部)で数十年間勤務し、金一族の資金管理を担当する労働党39号室の課長や、外貨稼ぎのための会社「大興総会社」大連支社長などを歴任した李正浩(イ・ジョンホ)氏だ。韓国には2014年に亡命している。
李正浩氏は、金正日総書記と金正恩委員長から「共和国の英雄称号」を2度も受けた人物だったが、韓国に亡命した後、現在はアメリカに居住している。
その李氏が、ユーチューブチャンネル「NKTV」でのインタビューで、金敬姫元書記は2014年にすでに死んだ、と改めて証言したのだ。さらに李氏は、ユーチューブ「康明道TV」にも登場し、ここでも同様の証言をした。やはり脱北者である康明道(カン・ミョンド)教授は、北朝鮮の姜成山(カン・ソンサン)元首相の娘婿であり、かつては北朝鮮のエリート一族の一員だった人物だ。
以下で、李氏らが北朝鮮で直接聞いて経験した証言を中心に、金敬姫氏の死とその死に至るまでの経緯についてまとめてみよう。
金正恩が語ったとされる「金敬姫の死」
「金正恩が金敬姫を殺害し、金敬姫の側近をすべて処刑した。私はそのことに衝撃を受け、亡命を決意した。当時、平壌では、幹部の間でこのこと(金敬姫氏殺害)は秘密でもなかった。中央機関と党本部に話が伝わっていた」(李氏)
李氏の証言は続く。
「金氏が殺害された日時は2014年5月5日だ。この日は、国家安全保衛部(現在は、国家安全保衛省。以下、保衛部)の大会があった。張成沢氏を処刑した後、保衛部を激励するための大会だ。
そこに金正恩も出席する予定だったが、姿を現さなかった。地方保衛部からも部員がやってきていたし、幹部全員が参加して金委員長と記念撮影することになっていたのでみな浮かれていたのだが、金委員長は来なかった。
そのため、金元弘(キム・ウォンホン)部長が機転を利かせ、集まった要員たちに金委員長に宛てて『忠誠の手紙』を書かせた。4.25文化会館で集まった保衛部要員の3000人全員が忠誠の手紙を書いた。
それで仕方なく金委員長は金元弘部長に返事をした。そこで金委員長は、『金敬姫書記が死んだので自分は大会に出場できないのだ』と言った。それを聞いた金元弘部長が金委員長の『お答え』を保衛部幹部と局長級に伝えたのだ」
李氏は後日、その話の内容を保衛部幹部の友人から聞いた。また974部隊(金正恩委員長の護衛部隊)の大佐の友人にも確認したという。