「失われた30年」と言われた平成が終わった。しかし今のままでは「失われた40年」になってしまう。熱い論争を巻き起こしているMMTの内容、独自性について、気鋭の経済学者・井上智洋氏が主流派・非主流派といった枠組みを超えて客観的に論じる。全2回、前編。(JBpress)
(※)本稿は『MMT現代貨幣理論とは何か』(井上智洋著、講談社選書メチエ)より一部抜粋・再編集したものです。
失われた30年
平成の30年間は、失われた30年で終わりました。この時代に私たちは、多くのものを失ってきました。
デフレ不況とそれに伴う政府支出の出し惜しみによって、少なからぬ国民が生活の安定や人生そのものを失いました。企業はイノベーション力を、大学は科学技術力を、家計は消費意欲を、若者はチャレンジ精神をそれぞれ失いました。我が国の国力衰退は、目を覆わんばかりです。
この国を再興するには、デフレ不況からの完全な脱却を果たす以外にありません。そのためには、「拡張的財政政策」を大々的に実施する必要があります。「拡張的財政政策」というのは、税金を減らして財政支出を増やすことです。そうすると政府の借金は増大します。ですが、財政の拡大なくしてデフレ不況からの脱却はありません。それを怠ったために、失われた10年は20年となり、30年近くにまで延長されました。
それにもかかわらず、2019年10月に消費税が増税され、政府支出の出し惜しみも続いています。デフレ不況という長く暗いトンネルの出口には、まだたどり着けそうもありません。
では、なぜ政府は、経済を衰退させるような、こうした自滅的な政策をとり続けるのでしょうか?
それは、日本が財政難に直面していると危惧されているからです。
ところが、「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)」、頭文字をとって「MMT」という経済学の理論に基づけば、過度なインフレにならないかぎり財政支出をいくら増やしても問題はない(つまり、財政危機なるものは存在しない)と主張することができます。
MMTは、非主流派の経済理論、つまり一般的な経済学の教科書には載っていない理論です。主流派の経済学者からすれば、MMT派は「異端派」ということになります。
私は、大学の講義で「ミクロ経済学」とか「マクロ経済学」といった主流派の経済学を教え、学術的な論文も主流派のフレームワーク(枠組み)にしたがって書いています。しかしながら、主流派とか非主流派といった区分に本質的な意味があるとは思っていません。
私自身は、MMTに全面的に賛成でも、全面的に反対でもありません。明確に賛成できる部分と疑問や違和感を抱かされる部分とが混在しています。本書は、そうした立場の経済学者から著されたものです。
MMTは、拡張的財政政策を採用して借金を増やすのが正しいのか、逆に緊縮的財政政策を採用して借金を減らすのが正しいのか、という国の命運を左右するようなテーマに関わっています。