すでに官房長官は「お金は払っていない」と明言していました。

 そして12月2日、月曜午後の国会で、首相は自ら「自分は『ゲスト』であって、前夜祭に参加費を支払っておらず、妻も含めて飲食などはしていない。ホテル側からは特別な配慮で低廉な価格の融通を受けていた」と答弁してしまいました。

 自分の事務所の人間は集金などを担当しただけでやはり飲食はしていない・・・だから参加費を支払う必要はない、と強弁したいようです。

 しかし、自分の事務所が集金して主催する宴会に自身夫婦が「ゲスト」という作文が通用する裁判も法定もあるわけがない。子供が考えても分かる道理でしょう。

 これで、「桜を見る会」疑獄、いや、短縮して記すなら「さくら疑獄」が確定したように思います。本稿はその国会審議を見届けた段階で入稿しています。

疑われてもいけない公的な立場

 さて、私が「桜を見る会」疑獄事件を看過すべきでないと思う一つの理由は、刑法の故・團藤重光先生との個人的な約束があります。

 様々な偶然から2000年代中半以降の團藤先生のメディア対応を、40代の私が秘書役としてお手伝いさせていただきました。

 90代の先生は、年を追うごとに、また体調を崩され入退院を繰り返されるごとに、認知や記憶の変化を冷静に自覚しておられました。

 96歳、上智大学のホセ・ヨンパルト先生からカトリックの洗礼を受けられた折、團藤先生は「これで準備ができた」「後を頼む」とおっしゃられました。

 そのように伺ってもご専門の法学には全くの素人の私です。しかしできることは尽くそうと私なりに決意した、その延長に、今回の事件への私なりの対処もあります。

 憲法75条には「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない」とあります。

 内閣総理大臣自身は実質的に刑事訴追されることがありません。