海外に暮らす日本人の多くが、母国の惨状に驚愕し、泣けて泣けて仕方なく、けれども、「具体的には今は何もできない」と、その無力さにさらに打ちひしがれていたのが、震災直後の状態だったと思う。

 私自身、電話がうまくつながらなかった実家のことを心配しつつも、すでに予定されていた仕事の約束をつとめて冷静にこなすしかなかった。

 もちろんその先々で、日本のことは話題になり、顔を合わせるすべての人が家族や友人たちの安否を尋ねてくれるし、すでに被災された日本の人々へのお見舞いを口ぐちに述べる。

 そのことをありがたく受け止めつつも、(今は何もできない)と、半ばあきらめの気持ちで、その不安と焦燥感を押し込めようとしていた。

日本の支援をしてくれるなら避難用の飛行機を送ってほしい

 原発の事故が報じられるとすぐ、ヨーロッパの首脳たちは、今後予定されている原発の見直しを発表した。そして「日本の震災に関して、できるかぎりの協力をする」ともコメントしている。

(それならば、ヨーロッパから飛行機を飛ばして原発周辺の住民をそっくり避難させてはくれないか・・・)

 問題の現場から40キロの地点に家族のある筆者としては、そんな荒唐無稽とも思われる願いさえ抱いていた。

 2日半ぶりに何とか電話が普通につながるようになり、両親や、その隣に暮らす弟家族と話をする段になって、その場所の空気と、こちらで盛んに伝えられている危惧、この2つの境遇の温度差に愕然としてしまった。

 日本時間14日朝のことである。このことは、前回のコラムの後半に書いた。