モンゴルと満洲国の国境紛争は、いち早く「モンゴル独立」(1922年)を承認し、その「衛星国」化を進めつつあったソ連と、傀儡国家として満洲国(1932年建国)を牛耳っていた日本が激突することになった。「五族協和」をうたった満洲国だが、その「五族」にはモンゴルも含まれる。国境を挟んで、モンゴル人どうしが戦ったことにもなるわけだ。この点を前面に出しているのが、安彦良和による長編歴史マンガ『虹色のトロツキー』(1990~1996)である。日本の敗戦によって満洲国は解体し、現在は中国の領土になっている。残念ながらあまり意識されることはないが、モンゴルは現在でも「分断国家」のままなのである。

 ノモンハン事件で対ソ戦を実質的に主導したのは関東軍参謀で少佐であった辻政信(1901~1968年)であり、現在も悪名が高いが、ノモンハン事件から11年後に出版した著書『ノモンハン』(毎日新聞社、1950)では、基本構造は1950年に勃発した「朝鮮戦争」と似ていると喝破している。この点は傾聴に値するものがある。

『ノモンハン』(辻政信、毎日新聞社、1950)の表紙カバー(筆者撮影)

 攻守の立場はノモンハンとは逆になるが、38度線の国境を侵犯して侵攻を開始した北朝鮮のバックにソ連がついていて、スターリンの命令で、前年の1949年に建国したばかりの中華人民共和国から「義勇軍」が投入された。侵攻された側の韓国には、軍政を敷いていた米軍を中心に、英連邦をはじめとする多国籍の国連軍がついていた。

付属国を背後で操縦するソ連と、計画的侵略を受けた友邦を助けて起った米国の立場とは、ノモンハン事件におけるソ連対日本の立場に彷彿(ほうふつ)たるものがある。
(・・中略・・)
著者は、当時の幕僚として、ノモンハン事件失敗の責任を痛感するものであるにもかかわらず、臆面もなく敢えて当時の真相を公表する所以(ゆえん)は、朝鮮に巻き起こされた戦争の動向を判断する上に何らかの示唆を与え、また、眼前に迫りつつある第三次世界大戦に戦争放棄の憲法を護持し、民族の運命を国際信義のみに依存し得るや否やにつき、何らかの参考たらしめようと意図するからである。

(筆者注:引用は 『ノモンハン秘史』(毎日ワンズ、2009)から行った。1950年の初版本では、この引用部分は「まえがき」から削除されたことが明記されている。当時の日本はまだ占領下であり、米国の政策に不都合だとしてGHQにより検閲され、削除されたのであろう)

 朝鮮戦争においては、北朝鮮が釜山まで攻め込んだ時期もあったものの、結局は国連軍が巻き返し、当初の38度線で国境が固定することになる。戦死傷者が300万人を超え、一般市民が巻き込まれて難民化した点は異なるが、基本構造はノモンハン事件と変わりない。

 とはいえ、朝鮮戦争が、辻政信が予見したような「第3次世界大戦」にはつながらなかったのは不幸中の幸いであった。北朝鮮に隣接する中国東北部に対する原爆使用を主張したマッカーサー元帥が、シビリアンコントロールの原則にもとづいてトルーマン大統領によって解任されていなければ、どうなっていたかわからない。