いよいよ開幕した第101回目の夏の甲子園。この原稿が公開される10日は、大会第5日目の激戦が繰り広げられているはずです。
見どころ満載の本大会ですが、開幕前に大きな話題になったのは、大船渡高校の佐々木朗希選手が岩手県予選大会決勝で登板回避したことでした。才能あふれる選手の未来を優先した監督の英断とする意見がある一方、甲子園出場を目の前にした大一番における采配の面からの批判が後を絶ちません。しまいには、張本勲氏や広岡達朗氏などプロ野球界の大御所たちまで参戦し始め、また大船渡高校に直接クレームを入れる輩がいるなど、なかなか余波が収まらないようです。
しかし落ち着いて、よく考えてみて下さい。いまさら、登板回避の是非を議論しても仕方がないことではありませんか?
なぜなら、佐々木選手が「令和の怪物」だからです。わが岩手県は、ロサンゼルス・エンゼルスで大活躍している大谷翔平選手に、今年からシアトル・マリナーズに移籍した菊池雄星選手、そして佐々木選手と、この10年の間に、3人もの怪物球児を生み出してきました。
とはいえ、その要因ははっきりしません。おそらくは偶然が重なっただけで、今後、佐々木選手クラスの怪物が生れる可能性は限りなく低いことでしょう。つまり、今回の登板回避の是非を議論したところで、たどり着いた解決策を反映させるシチュエーションが、二度と訪れないかもしれないのです。
また、ひとりの選手の事情を優先させ、一緒に汗を流してきたチームメイトの心情を思いやっての批判も数多く寄せられているようです。ただし、これは野球部に寄り添い、苦楽をともにした者だけに言う権利があり、外野がとやかく言うべき問題ではないでしょう。落合博満・元中日監督が言うように、采配に関しては、当事者たちの問題であって、周囲が騒ぎ立てる問題ではないと思うのです。
氏原英明 『甲子園という病』
むしろ、論議すべきは監督の采配ではなく、過密日程に代表される、球児に過酷な環境を強いられる高校野球のあり方ではないでしょうか。そこで、いまいちど手に取ってみたいのが『甲子園という病』(氏原英明著)。
「部活」であり、高校生活の一部であるはずの高校野球で、勝利至上主義が蔓延してしまい本来の姿とかけ離れてしまった要因は何か。少なくとも大船渡高校にクレームの電話をかけるようなバカを減らすためにも、多くの方に読んでいただきたいものです。