1640年代になるまで、オランダは一時的ですが、ポルトガル領であったブラジル北東部のペルナンブーコを占領しました。ペルナンブーコは黒人奴隷を使役した大規模なサトウキビ農園経営で繁栄する地方でした。

 1654年、ペルナンブーコが再度ポルトガルの手に落ちると、オランダ人はカリブ海のオランダ領植民地でサトウキビ栽培に乗り出します。オランダ人の農園主と彼らが所有する奴隷がこの地にやってきたのです。カリブ海の島々では、もともとサトウキビが栽培されていましたが、オランダ人が大規模に展開するようになるのです。そして最近の研究では、この地にやってきた「オランダ人」は、正確に言えばセファルディムだったと考えられるようになってきているのです。

 イベリア半島からアントウェルペンに移住したセファルディムは、さらにアムステルダムなどに避難先を見つけ、元来のイベリア半島の故国と外国の植民地との貿易に大きく寄与しました。さらに彼らはまた、ブラジルから西インド諸島へと砂糖栽培を拡大させ、オランダのプランテーション経営発展に大きな貢献をしたのです。

ダイヤモンドとセファルディム

 現代のイスラエルにおいて、ダイヤモンド産業は基幹産業の1つになっていますが、ここにも古くからのセファルディムの活躍が影響しています。

 ユダヤ人は、かなり古い時代からダイヤモンドの取引に従事していました。18世紀前半にブラジル産のダイヤモンドがもたらされるまで、世界のダイヤモンドの唯一の供給地はインドでした。このダイヤモンドをインドから輸入し、代わりに地中海のサンゴを輸出していたのが、イタリアの貿易港・リヴォルノに暮らすセファルディムたちでした。

 彼らはダイヤモンドを輸入するだけでなく、研磨・加工の技術も持っていました。そして彼らには、各地に広がる貿易ネットワークがありました。それを利用してダイヤモンドの流通を支配することで、影響力を高めていったのです。

 現在でも、ダイヤモンド産業については、原石の買い付けはユダヤ系資本のデビアス社、研磨・加工はイスラエルという役割分担がなされていますが、それにはこのような過去の蓄積があってこそのことなのです。

 その信仰が異端視され、各地で迫害を受けてきたユダヤ人は、世界各地に散らばりつつも、民族的アイデンティティを維持し続けました。それが遠く離れたユダヤ人同士を結び付け、他に類を見ない経済・金融のネットワークを構築する原動力となってきました。その恩恵は、ユダヤ人のみならず、世界中の人々が享受してきたとも言えるのです。