日本では、算数の練習問題は「3+5=?」型が普通で、欧米では「?+?=8」型が普通だそうです。この違いを元に、「なぜ」の本質について一緒に考えてみましょう。
「5+3=?」型では、左辺「5+3」が与えられた条件で、右辺「?」がその結果になります。この答えは「8」しかありませんから、「解く」というより覚えておいて、思い出して答えるということになります。だから記憶力、つまり知識の問題なのです。
一方、「?+?=8」型は、右辺の「8」という結果に対して、その原因の「?+?」を考えることになります。これが「なぜ」の1つの形なのです。
結果が「8」のとき、「?+?」は? と問われると、小数まで考えると無限にあります。正の整数の場合でも答えは7通りあります。その7通りが全部正しいのです。答えがいく通りもあって、それが皆正しいとなると、覚えておいて思い出すなんてことはできなくなります。その度に考えて、答えを導くことになります。
しかも、Aさん、Bさん、Cさん、それぞれが違った答えを出した時に、どれもが正しいのだということが分かれば、他人の出した答えを尊敬すると同時に、自分の答えにも自信を持つことができるでしょう。
逆に言うと、いつもその場で自分の頭で考え、正しいと思ったことを主張できる主体性を持った人間を育てたいのであれば、「?+?=8」型の方が良いということが分かります。
主体性が失われる「5+3=?」型の教育
一方、「5+3=?」型で教育された人たちは、正しい答えは1つしかないと思い込みがちです。問題に直面すると、「自分の頭で考える」という訓練ができていませんから、本能的に覚えておいたことを思い出そうとし、思い出しても記憶違いだったらどうしようという不安を抱きます。そして、常に他人の考えを気にし、自分の考えを主張できなくなります。
思い出せない場合は、自分で考えようとせず、相手の言葉を鵜呑みにします。複数意見がある場合は、より有名な人の言葉を信じてしまい、他の意見は間違いだと思ってしまいます。
このように周りのこと、いわゆる「空気」を気にする主体性のない人間になっていくのです。最近「KY(空気が読めない)」という言葉がはやりましたが、裏返せば空気ばかり読んで主体性のない人間ばかりになってしまったということです。
歴史的に言えば、論語の「依らしむべし、知らしむべからず」(民衆にはいちいち説明せずとも、支配者に頼らせるのがよい)という上意下達をやりやすくするための教育体系という一面もあるのです。