そこから、ドイツを理解しようと言葉を覚えたことで、文化を知り、彼らのメンタリティを体得できた。たとえば、目を見て話したり、ハグをしたりと、自分を伝えることができるコミュニケーション能力は、日本人にはなかなかないものだ。
2シーズン前の2016年、降格争いの真っただ中というチームの窮地において、キャプテンに指名されたことは、「認められた」と思えた瞬間だった。それまでは、ブンデスリーガでプレーする日本人――ブラジル人選手、イタリア人選手と同じような――のひとりだったのが、ドイツ人として見てもらえている。さまざま人たちがいる中で、僕のメンタリティがドイツ人としても認められた、と思えた。
日本でも日本人として認められ、ドイツでもドイツ人としても認められた。
完全なる日本人の酒井高徳と、完全なるドイツ人の酒井高徳。
今の「酒井高徳」は、「ハーフ」ではなく、一人と一人が合わさったいわゆる「ダブル」だ。
ダブル。
そこには、僕が経験してきたさまざまなことが詰まっている。
日本人とドイツ人。
所属クラブと日本代表。
成功と失敗。
どれも、半分ではない。ひとつ。
このことこそが、僕が伝えられるかもしれない、僕にとって確かなひとつのことだ。
人は生まれながらにしてコンプレックスを持って生きていると思う。
それを認めてもらえるように、克服できるようにと、社会で生きていこうとしている人はいっぱいいるはずだ。
その過程では、いろいろな壁にぶつかり、でも成長しなきゃいけない、前に進まなきゃいけないという葛藤を抱いている。
でも、僕は思う。コンプレックスを持つことは悪いことではない、と。そしてコンプレックスに立ち向かうことで、その先に必ず克服があるということを知っている。
確かに、立ち向かってもうまくいかないことはある。