ヴェネツィアの街並み

 中世のヨーロッパにおいて、イタリアの経済力は非常に大きく、また影響力も持っていました。イタリアでは銀行が誕生し、複式簿記が導入され、保険業も発達。さらには毛織物業が伸展、アジアから輸入した香辛料をヨーロッパ各地に再輸出し、巨額の利益を得ていました。そうした経済的発展の上に起こったルネサンスによって、イタリアの文化はヨーロッパ文化の中心となるのです。

 確かにイタリアは当時のヨーロッパにおいては先進的でした。しかし、もう少し長いスパンで評価すると違う面も見えてきます。それほど発展したイタリアの発展は、なぜその後の世界で覇権を握れなかったのでしょうか。今回はその謎を追ってみたいと思います。

イタリア商業は本当に重要だったのか

 7世紀初頭にイスラーム教がムハンマドによって創始されると、イスラーム勢力が支配する領域は急激に広がっていきます。アッバース朝(750〜1258年)の時代になると、イスラーム商業圏は、中央アジアから地中海にまで広がります。

 11〜12世紀になるとアッバース朝そのものは衰退しますが、それでもヨーロッパがイスラーム勢力によって囲まれていたことには変わりがありません。イタリアはその商業圏の中で活躍していたにすぎなかったのです。

 東南アジアのモルッカ諸島でとれる香辛料は、すでに古代ローマ時代に、エジプトのアレクサンドリアをへて、地中海に送られていました。11世紀になってもこのルートは使用されており、インド洋から紅海を経て、アレクサンドリアに送られ、さらにそこからイタリアに輸送されていました。

 イタリアが、本格的に香辛料貿易を拡大させるのは、14〜15世紀頃のことです。イタリア都市が復活し、その要因の一つにレヴァント(東方)貿易がありました。レヴァントとは、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、エジプトといった地中海のまさに東岸地域のことです。とくにエジプトのアレクサンドリアが貿易の拠点になっていました。中世のイタリアの繁栄は、アジアからアレクサンドリアを経由して輸入される香辛料貿易の上にありました。