「なぜ政治家を目指すのか」という問い
――租税の税率ひとつにしても、これはよほど慎重に向かわねばならんな。
考え込んでいるところに、汗だくの剣持がやってきた。
「いやいや、だいぶんあちこちに応援団が増えてきましたぞ」
この男のいかにも純朴そうな人柄に、犬養はすっかり親しみを覚えるようになった。
「やあやあ剣持さん、ご苦労さんです。どうぞ冷たい水を使って下さい」
剣持は肌着を頭から脱ぎ捨て、首の手拭いをたらいの水に浸した。
「わしも何だかあんたのために役に立ちとうなってのう」
瘦(や)せこけた身体をゴシゴシ拭きながら、剣持が話し始めた。
「わしにも犬養さんと同じくらいの息子がおるんじゃが、何年も前に東京で一旗あげるゆうて飛び出して行ったきり、連絡もない。ここは犬養さんをわが息子と思うて、ひとつ気張ってやらねばならん」
便利な東京で食い扶持にさえ困らなければ、こんな田舎に帰ろうとは思わないだろう。農業は辛く、休みもない。忍耐ばかりだ。若い者も早くから腰が曲がり、都会の人間よりずっと年老いて見える。犬養は何とも不憫(ふびん)な気持ちになった。
ふと剣持が思い出したように振り返り、犬養に訊ねてきた。
「ときに犬養さん、あんた、なんで政治家になられる」
犬養は虚を突かれ、思わず居住まいを正した。
「いやの、あんたのことを頼んで回っとると、そういうことを聞くもんもおるんじゃ。変なことを聞いとるようじゃったら、あいすまんのじゃが」
「いいえ、それは大事な話です。正直を言いますと、私は福沢諭吉先生に政治の道へ導かれたんであって、最初から私自身に強い意志があったわけじゃありません。記者の仕事も面白いし、迷いもしました。ですが、久しぶりにこうして故郷に帰ってきて、もう政治の道をまっしぐらに歩いていきたいと、決意を固めたところです」
故郷が思い出させてくれた志
犬養は黙って家の周りに広がる豊かな青い波を指さした。剣持が怪訝そうに目をやる。この時期の稲の成長は速い。この1カ月余りで色はより濃くなり、丈は手のひらほども伸ばした。
「この青く輝くような実りこそ、国を支える土台だ。これを汗して守ってくれているのは、剣持さんや私の家族、故郷の人たちだ。そういう大切なことを、私は東京にいる間に忘れておりました」
蟬の鳴き声が一層、高まる。剣持は、夕陽に照らし出された犬養の精悍(せいかん)な横顔を黙って見つめている。