ジェームズ1世が亡くなると、その子のチャールズ1世が即位します。チャールズ1世は、国王になると王権神授説を唱えて専制を強めます。これに議会が反発すると、国王は議会を解散。議会が開かれない状態で、ますます専制政治を強めたのです。また国内の宗教を国教会に統一しようとし、ピューリタンを弾圧します。
こうした中、国王を支持する王党派と議会を支持する議会派の対立が激化し、1642年、ついに武力対立に至ります。こうしてピューリタン革命が勃発したのです。
クロムウェルは、まさにこのピューリタン革命時代に議会派の中心人物の一人として活躍しました。この時代に彼が導入した二つの政策――航海法と消費税の導入――が、その後のイギリス史できわめて大きな意味を持つようになるのです。
航海法で保護海運業政策
まずは、1651年の航海法の導入について見ていきましょう。著名な経済学者アダム・スミスば、航海法のことを「イギリス政府のもっとも賢明な政策」だったと評価しています。
航海法とは、イギリスが輸入するときに使用する船をイギリス船ないし輸入先の船に限定する法律です。航海法の背後には、当時ヨーロッパ最大の海運国家であったオランダ船舶を排除する目的がありました。オランダの繁栄の土台には、海運業の発達があったのです。
当時、イギリスの海運業は、まったく発展していませんでした。1560年の段階で、イングランドの海洋国家としての地位はきわめて低く、オランダ、スペイン、ポルトガルはいうに及ばず、ハンブルク、さらにはハンザ同盟の中核都市リューベックと比べても劣っている状況でした。
イギリスは、このような状況を抜け出すべく、国家が主導して海運業を促進していったのです。実際、航海法はイギリスの海運業育成に大きく貢献しました。イギリスが保有する船は、1560年の5万トンから、航海法制定の137年後の1788年には105万5000トンへと増えています。およそ200年間で21倍に増加しています。驚異的な増加だといえるでしょう。
18世紀末になると、イギリスは、ヨーロッパ最大の海運国家になっていました。やがて世界最大の海運国家になり、世界中の商品を輸送するようになります。