時として街自体が、人間のような強い個性を孕むことがある。その街がたどってきた歴史の蓄積、そこに集う人々の集積、国によるその時々の政策。そうしたものに巻き込まれながら、街という空間が、存在としての個性を持ち始めるようになる。

 歴史の堆積を感じさせる京都、歴史や政治によって翻弄される沖縄など、ある種の“必然”が生み出した土地も数多く存在する。しかし一方で、人工の匂いを漂わせる街もある。東京の3つの街、渋谷・新宿・池袋はその筆頭のように僕には感じられる。歴史的・政治的必然ではなく、人間のささやかな営みの記憶が作り上げたような街の個性。時代の流れを受け、様々な変化を余儀なくされつつも、渋谷・新宿・池袋という巨大な街は、その時々の人間の生活や夢を色濃く反映する街として、特異な存在感を放っているように感じられる。

 そのような街は、人間の生活を色濃く記憶する。だからこそ、物語の舞台として頻繁に登場する。憧れと現実を奇妙に混在させた装置として、物語の背景以上の役割を果たす。

 街が持つ記憶を引きずり出す3作品です。

早見和真 『95』

 SNSで高校生の少女から連絡をもらい、広重秋久は高校時代に入り浸っていた渋谷に、久しぶりに足を運んだ。すっかり様変わりしているが、ところどころに面影が残っている。当時たまり場にしていた「メケメケ」という店で彼女と会うことになった。

 新村萌香と名乗った少女は、高校の卒業制作のために、星城学園のOBである秋久に、1995年のことについて教えて欲しい、と話した。星城の卒業制作はちょっとした名物なのだ。

 秋久は、1994年のことから話し始める。そう、地下鉄サリン事件が起こり、秋久が“キレて”しまったあの日のことから。