(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)
ゴルフは、私の健康保持にとって欠かせないものとなっている。始めたのは11年前である。きっかけは、あの鳩山家と関係の深いある人から、「筆坂さんはゴルフはやらないのですか」と聞かれ、「やったことはないけど、ゴルフくらい誰でもできるでしょう」と答えたことだった。「じゃ、練習して下さい。頃合いを見て誘いますから」というので、その日は別れた。
死んだ長兄がゴルフ大好き人間だったので、義姉に電話し、残っているクラブとキャディバッグを送ってもらった。だがそのドライバーは、今のようなチタンなどの合金製ではなく、パーシモンとよばれた柿の木製のものだった。もはや骨董品で、こんなクラブを使っている人は、誰もいなかった。
そんなことも知らずに、近所のゴルフ好きの私より6歳年長の知人がいたので声をかけて、勇躍練習場に行った。私がパーシモンのドライバーを取り出すと、その知人が驚いて「筆坂さん、そんなクラブもう誰も使ってないよ」と言って、何本か持っているドライバーから1本をプレゼントとしてくれた。この人が、私の唯一の“師匠”だった。
私は車の運転をしないので、自転車で数本のクラブを抱えて、熱心に練習場に通った。1週間に3~4日は通ったものだ。そのたびに500球から600球打った。何しろ2カ月後には、デビューが迫っていた。いよいよデビューする10日程前に、上半身の左側に痛みが走った。嫌な予感がして整形外科で診察してもらうと肋骨を骨折していることが判明した。骨にヒビが入ったのだった。
還暦過ぎてゴルフデビュー
デビューのその日、我慢できないほどの痛みでもなく、そのまま痛み止めを飲んでゴルフ場に向かった。満60歳を2カ月過ぎていた。もちろんさんざんで、最後の方は適当に打数を数えたものだった。正確に数えれば160~70はいっていただろう。