2015年、活字やネット、放送界で縦横無尽に活躍していた当時の勝谷誠彦氏

「辛口コラムニスト」として知られる勝谷誠彦氏が急逝した。急性肝不全。57歳の早すぎる死だった。勝谷氏はこの8月に体調不良が深刻化するまで、メールマガジン『勝谷誠彦の××な日々。』を一日も休まず発行し続けていた。そのメルマガの配信元である株式会社世論社の代表取締役・高橋茂氏が勝谷氏の最期を明かしてくれた。(JBpress)

勝谷は死なない

 異変には気づいていた。2015年の春に鬱を発症してから、半年くらいで回復したものの、全体的に精気が無くなり、勝谷は酒を飲む時間が延びていった。そして、毎朝メルマガの形式で送っている5000字に及ぶ日記『勝谷誠彦のxxな日々。』の文体は、以前ほどのキレが無くなっていた。

 今年(2018年)8月10日。軽井沢の勝谷の自宅で配信されたネット番組『血気酒会』では、勝谷の顔の色が問題となった。黄疸が酷かったのだ。腹は異様に膨れていて、ふだんほとんど食べないことから「栄養失調じゃねえの?」と私たちは笑っていたが、尋常ではないことを感じ、病院での検査を強く勧めた。

 最初は「そうかなあ」などととぼけて検査を嫌がっていた勝谷だが、尼崎の実家が病院で、弟が開業医を継いでいることもあり、その後大阪に用事で戻ったタイミングで弟が診て、病院への紹介状を書いた。

 8月21日。勝谷は都内の大きな病院をマネージャと訪れ、そのまま緊急入院となってICUに入った。前日の20日夜。私は勝谷に呼ばれて近くの呑み屋にいったとき、勝谷は10錠ほどもある薬を日本酒で流し込んでいた。「眼の前に水があるんだから、普通は水で薬を飲むだろう」と言うと「良いんだよ。飲みさえすれば何でも良いって言われた」と全く意に介さなかった。

 あと1日か2日、検査が遅れていたら、救急車で運ばれて絶命していたかもしれない。それほど肝臓は悪くなっていて、「重症アルコール性肝炎」「劇症肝炎」と診断された。普通なら半数は1か月以内に死亡してしまうレベルだった。

 本来であれば、黄疸が出るほどになった段階で、すぐに病院に行くべきであったが、遅れたものの自分で歩いていかれたというのは、タイミング的にはギリギリのところで、勝谷の悪運の強さを感じた。「こいつは死なない」と。