日本スポーツ界を席巻する「パワハラ」問題。相撲、体操、駅伝、レスリング・・・次から次へと明るみになるその実態は、これまでアンタッチャブルとされてきた業界の負の部分がはっきりと映し出されている。
果たして育成に暴力や暴言は不可欠なのか。
現在の米国のスポーツ界において「パワハラ」が問題になることはないと説くのは在米スポーツライターのナガオ勝司氏だ。「体育会系あるあるが存在しない」米国から見た「パワハラ問題」とは。(JBpress)
「映画の世界」と形容された日本スポーツ界の異質さ
2001年に日本のプロ野球でコーチの選手に対する暴行事件が発覚した時、当時現場を一緒に過ごした米国人記者から「まるで映画の世界そのものだな」と皮肉を言われたことがある。
彼の言う「映画」とはトム・セレック主演の「ミスター・ベースボール」(1992年公開)のことで、故・高倉健さん演じる日本人監督の「上の命令は絶対だ」的な指導法に、日本のプロ野球選手たちが従う姿がコメディー風に描かれていた。
残念ながらその記者はもうこの世にいないが、もしも彼が今でも生きていたら、指導者が選手に対して「体罰」を振るったり、何かを強要したりという「パワー・ハラスメント=パワハラ」が問題になっている今の日本のスポーツ界を、どう捉えただろうかと思う。
なぜなら、「パワハラ」という言葉が、米国には存在しないからだ(「パワハラ」は日本で生まれた造語である)。
たとえば英語版Wikipediaには「Abuse by Power(権力によるイジメ)」という言葉はあっても、「パワハラ」は日本や韓国における「社会問題」として紹介されているだけだ。そして、それはスポーツ界ではなく、社会的な問題だとされている。
上司が部下に、あるいは指導者が選手に何かを強要することは米国にもある。
再び映画の話になるが、トム・クルーズ主演の「ア・フュー・グッドマン」(1993年公開)は、軍隊内部の規律を乱す者への上官の暴力的制裁をテーマにした法廷ドラマだった。同作品は脚本家が物語同様の裁判を担当した弁護士から聞いた実話
だが、それらは米国で、日本風の「パワハラ」とは区別されている。
なぜだろうか?