たとえば、ひらがなフォント、特に明朝系は空白部分が多いこともあって、字間を詰めた方が美しかったりします。グラフィック的にはツメ打ち(文字列の字間を詰めること)はアリですよね。僕も好きです。ただ、見出しやタイトルならともかく、本文は違う。1行なら調整は可能ですが、本文全部を調整するのは不可能だし、機械的に詰めたりしたのでは読めなくなってしまいます。

 1文字と1行、段落、1ページ、見開きでは、文字の在り方が違っているんだということに、僕は小説家になって気がつきました。

 デビュー作『姑獲鳥の夏』はワープロで書きました。出版予定はなかったので原稿用紙にあわせた20字×40行で作成しています。新書判で刊行されましたが、字数、行数は変わっていたし、しかも2段組み。違う器に機械的に流し込まれてしまっていたわけです。

 これが、原稿とは印象が全然違うんです。検証のため、夏目漱石など複数の出版社から刊行されている小説を読み比べてみました。同じ内容なんですが、字詰めと行数、フォントが違うだけで読み味はかなり違う。小説は出版されなければ読まれないわけで、つまり書籍が小説の完成形です。小説は文字情報だけで成立しているのに、最終的なプレゼンが機械まかせというのはどうかなと思いました。テクニカルな面ではこれだけ変革しているのに、書き手の意識だけは百年前と変わっていない。「これでいいのかな」と、試行錯誤を繰り返した結果、こういうスタイルがだんだんできあがってきたんです。

直接InDesignに入力することでワークフローを簡略化

 デビュー当初は、版面に合わせたテンプレを自作して、ワープロで書いていました。正字・異体字などは作字し、ルビもつけていたわけですが、いくら完成形そっくりに作っても、データに互換性がないからそのまま商品化はできない。MS-DOS形式で書き出して出版社で変換してもらうしかないわけですが、するとルビも作字も飛んでしまうし、初校にはかなり手入れが必要になる。一回できているものを壊すわけで、校閲や著者校正も煩雑になるし、再校も確認箇所が増えるでしょう。これ、仕事としては極めて非効率的だし、ミスも増える。思案していたら、ここにいる凸版印刷の紺野さんが手を貸してくれたんですね。