米国のサイトの方が英語という外国語であるにもかかわらず、内容が直感的に理解できるのだ(参考までに、筆者は外国に住んだ経験はなく、ごく一般的な英語力しかないので、英語の基礎力が高いことで内容が容易に理解できているわけではない)。
日本のサイトは、統計データと関連するおびただしい注記事項が羅列してあるだけというケースが多く、情報が整理されていない。様々な立場の人が読むことをまったく想定していないのだ(あるいは想定していても、体系立てて表記できないのかもしれない)。
困ったことに、こうした分かりにくい情報に対して改善の要求が出されるのではなく、詳細を知っている人が、分かりにくさを利用して、分からない人に対して優越的な立場に立つという、本末転倒な現象も散見される。あなたの職場にも、分かりにくい情報しか提示できないにもかかわらず、「こんなことも知らないのか」と悦に入る同僚がいないだろうか。
多くの人にとって分かりにくい情報しか出せない人は、マイナス評価になるという土壌が出来上がれば、読解力不足の問題もある程度、緩和できるだろう。
分かりやすい表現を重視すると、薄っぺらい議論になってしまうとの批判もあるが、筆者はそうは思わない。
難しい話を難しく説明することなど、専門家であれば誰でもできる。現代社会はオープン化が進んでおり、異なる分野の知見をうまくミックスしていかなければ新しいビジネス領域を開拓することはできない。専門的な内容を専門外の人に適切に説明する能力に欠ける人は、むしろ専門家としての能力が不足していると評価するぐらいの意識改革が必要である。
こうした実務的な改善を積み重ねて行けば、教育プログラムによって読解力を向上させるといった大きな枠組みを構築しなくても、たいていの問題は解決するはずだ。