大虐殺から23年、歴史教育に直面するルワンダの学校

ルワンダ大虐殺から20年目の4月3日、首都キガリで犠牲者を追悼し「記憶」する炎を運ぶ若者たち。炎のリレーはその後、全国30郡を回って同7日にキガリへ戻った(2014年4月3日撮影)。(c)AFP/SIMON MAINA 〔AFPBB News

 今回の、内政外交ともに必然性が見えない日本の選挙で、集まった群集に「君が代」を斉唱させる候補者がいるという報道を目にしました。

 真偽のほどは知りません。しかし、極めて危険な可能性を歴史の事例ならびに同時代のケースなども引いて、検討してみたいと思います。

 皆さん、学生時代に入学式や卒業式で「校歌斉唱」というとき、何とも言えないすがすがしい気持ちになったりしたことはないでしょうか。そこには理屈はいらないですよね。

 いまも覚えているのは、中学に入ったとき、入ったばかりでまだ斉唱できないながら入学式で聞いた母校の校歌の晴れがましさです。

 いまだにこのマインドコントロールは私の中に残っています。大学にはそんなものはなく、小学校は幼すぎましたが、思春期のこういうのは残りますね。

 スポーツ選手が表彰台の上で「君が代」を聞くと、やはり何かを刻印されるでしょう。

 そこに理由はいりません。

 で、です。これが大変危険だということを、私の研究室では音楽の基礎を徹底するラボラトリーとして脳認知に立脚して検証、国際機関と連携し、ルワンダ国立大学などとジェノサイドの再発防止・ラジオ放送の生理評価などにも取り組んできました。

 「選挙で歌を歌う」だけでも相当微妙です。国歌斉唱は、特定政党がしてはいけないこととして法で禁止する必要があるくらい、危なっかしい事態であることを、平易にお話いたしましょう。