ノーベル経済学賞、米大学の教授2氏に 契約理論に関する研究で

スウェーデン・ストックホルムのスウェーデン王立科学アカデミーで、会場のスクリーンに映し出された2016年のノーベル経済学賞受賞者の写真(2016年10月10日撮影)。(c)AFP/JONATHAN NACKSTRAND〔AFPBB News

 最近、大学の授業料を巡る議論をメディアで目にする機会が増えました。とりわけ「無償化」に関係する議論で、様々な意見が対立しているようです。

 曰くA「何が何でも無償化がよい」

 あるいはB「入学時に貸しつけて卒業できたら棒引きにすればよい」

 あるいはこれと逆にC「卒業後、社会に出てから返していけばよい」

 上のAは、財源をどうするのかが見えてきません。あまり現実感がない。

 Bは、卒業できなかったとき結構な借金を背負うことになりますが、病気で学業が続かなくなった人が借金の追撃を受けるのかとか、現実的なケースを考えると机上のアイデアであることが直ぐ分かるタイプ。

 Cは、いわゆる「教育ローン」というやつで、国を滅ぼす最低最悪の選択の1つと思います。ろくなものではない。

 では、どうすればいいのか?

 この問題を考えるようになって余裕で33~34年は経過しており、その間に私自身の立場も 学部学生 → 大学院生 →(フリーランスのミュージシャン)→ 大学教員と変化しましたが、ことこの問題に関しては、一貫して1つの答えがクリアに存在しています。

 キーワードは公共財で、優れた人材、もっと言えば次世代納税者というべき国民の質を高めていくことは、国の大本の基本であって、その教育は一律安価―無償に近いものであるべきと思っています。

 それと同時に、およそ公共財などとは呼びようがないような“大学"まで、無償化の対象にする必要は全くないと思います。

 「大学」の名を持つに値する、実質を持つ大学/学生を限定し、それについては無償化を進めるとともに、その「数」をコントロールするのではなく「質」を徹底してキープすべき、というのが、私の一貫した考え方にほかなりません。