夏の夜には欠かせない線香花火(PAKUTASOから)

 「シンギュラリティ」というSF話があります。

 AIの能力が人間を超えるという設定ですが、最初に結論を言ってしまうと、株価維持のための成長目標のように使うならまだしも、単に方便であって、そんなものは存在しません。仮構に過ぎない。

 しばしば言及されるレイモンド・カーツワイルの議論を「人工知能の権威」などと考えるのは笑止な話で、現実に彼は実業家、企業家にほかなりません。

 ヒト・モノ・カネの流れを作る情報発信そのものを、営利のそろばん勘定もしっかり入れながら検討している。それを科学的な事実や、技術的な限界のように言うのは、単に間違っていると言うしかない。

 ビジネスあってのポジショントークとして、9割値引きして はいはい と聞くのが、大人の分別と思います。

 「コンピュータ―は人間を超えるのか?」

 そもそもこの問いが、大きく間違っている。例えば、もし

「ネコはイヌを超えるのか?」

 という質問をする人がいるなら、「バカバカしいことを訊くなぁ」と呆れて終わりになるかもしれません。

 例えば、多くのネコは木に登りますが、多くのイヌは上れません。お魚くわえたドラネコ、をイヌは裸足で追いかけ、木の上でのうのうと食べる猫に吠えるしかないかもしれないけれど、だからと言ってそれが

「ネコはイヌを超えた」

 などと言っても意味はない。番犬が吠えるので空気銃を持った飼い主に狙われたら、お魚くわえたドラネコの方が一巻の終わりかもしれません。