何人かの学生から、次のような相談を受けたことがある。
就職してしまうと将来が決まってしまう。そう思うと就職するのが怖い。
学生でいる間は、何にでもなれる可能性が残されているが、就職してしまうともうその仕事を一生続けるしかない。もちろん転職もできるだろうけれど、そうなると日本の場合、転職先は収入も低くなり、福利厚生も悪くなることが多い。だから就職には慎重にならざるを得ない。
しかしどの仕事が自分に合うのか、果たして自分が何をしたいのかもはっきりしない。就職して後悔したくない、でもどこに就職すれば後悔せずに済むのかも分からない・・・。
悩むあまり、就職活動すること自体が億劫になり、留年してモラトリアムを継続する、という学生もいる。
そういう学生に、私は次のような話をすることが多い。
狭い仕事でもその先に世界が広がっている
鉄鉱石は可能性のカタマリだ。カナヅチにもなれればノコギリにだってなれるし、クギやフライパン、自動車になってなれる。まさに可能性のカタマリだ。しかしそのままでは何の役にも立たない。鉄鉱石はカナヅチのようにクギも打てないし、ノコギリのように木を切ることもできないし、卵焼きも焼けない。可能性のままで居続ければ、やがて錆びて朽ちるだけに終わるだろう。
でももし、大工さんが肌身離さず手元に持っておきたくなるようなカナヅチになったとしたら? ビルの建築現場や家具づくりの工場、あるいは美女の自宅のリフォームにも連れて行ってもらえるかもしれない。
カナヅチになると確かにノコギリのように木は切れないし、クギのように木材に深く刺さることもできない。多くの可能性を失っているのかもしれない。その代わり、使い勝手のよいカナヅチになれば、いろんな現場に出会えるカナヅチになる。可能性を狭めるからこそ、広い世界に出られるということもある。