人間とAIが手を取り合えるのは、いつの日か。(写真はイメージ)

 今回のテーマは人工知能(AI)。今は第3次ロボットブームの中にあり、深層学習(ディープラーニング)やシンギュラリティなど、人工知能に関するワードも日々メディアで目にすると思います。

 歓迎や称賛、悲観や警戒、さまざまな声がある中で、我々は人工知能に何を期待しているのか探ってみたいと思います。

映画で描かれる人工知能は亜種としての人工生命である

 さて、我々が頭に思い浮かべる人工知能。そのほとんどは映画で見たものではないでしょうか? 「2001年宇宙の旅」のHALや「ターミネーター」「マトリックス」「A.I.」「アンドリューNDR114」「her」など、人類の敵から恋愛の相手までさまざまな姿で描かれています。

 それらで描かれていることの根本テーマ、それは自我を持つ人間以外の存在に人間が向き合った時のジレンマです。

 人類は古代より自分たち以外の知的な存在を夢想し、崇め、産み出そうとしてきました。それは神であったり、奴隷であったり、はたまた友人であったりと、人間と対峙した時のスタンスによって、その関係性は変わります。言語をインターフェイスとした知的な人工生命体、その無機的なものを人工知能として描いてきました。

考え、判断することの意味

 では、自我とはなんでしょう?

「我思う、故に我あり」

 まさしくその通りで、自律して考え、判断できるか否かが、自我のあるなしを決定します。