トランプ氏、TPP離脱の大統領令に署名

ホワイトハウスの大統領執務室で、署名したTPP離脱に関する大統領令を掲げるドナルド・トランプ大統領(2017年1月23日撮影)〔AFPBB News

 1月20日、ドナルド・トランプ第45代米国大統領の就任式が行われた。新大統領に反発する民主党下院議員など60人ほどが欠席し、近くでは抗議デモ。全米はおろか、世界80か国ほどで抗議デモが行われたという。

 さらに、議会議事堂前に集まった人々が8年前のバラク・オバマ新大統領就任式の時に比べずっと少ないことを写真を並べ伝えたことをめぐり、新大統領はメディアを批判している。

 今や、誰もが苦もなく世界中に動画を発信できる時代だが、大統領就任式が初めて映像に収められたのは120年前のこと。19世紀最後の酉年である1897年(丁酉)3月、第25代大統領ウィリアム・マッキンリーの就任式だった。

 いまだ「映画誕生」から1年ほどしか経過していない頃のこと。単なる映像記録であっても、「写真が動く」だけで人々は驚愕する時代だった。

世界初の映画館

 ニューヨーク、ブロードウェイに、のぞき穴から「活動する写真」を見ることができる「世界初の映画館」が登場したのが1894年。

 「発明王」トーマス・エジソン・ラボの発明品を使い撮影された「キネトスコープ」は、有料興行も始めていたが、スクリーンに映写されるその後の「映画」とは違うことから、翌95年12月28日、リュミエール兄弟によるパリでの「シネマトグラフ」有料上映会が映画の始まり、ということになっている。

 マッキンリーは、就任早々、米西戦争でフィリピン、グアム、プエルトリコを獲得、キューバも保護国化するなど、海外への膨張策を進めた。

 しかし、国内にはまだまだ西部劇の世界が健在。ようやくストーリーを持ち始めた最初期の西部劇『大列車強盗』(1903)も、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドという『明日に向って撃て!』(1969)の主人公ともなった当時の銀行強盗の実話にインスパイアされ撮られたものだったとも言われている。

 特殊効果のパイオニア、ジョルジュ・メリエスへのトリビュート『ヒューゴの不思議な発明』(2011)には、メリエスがリュミエール兄弟のシネマトグラフ『列車の到着』(1895)を見るシーンがある。

 可能性を感じたメリエスは、自ら組み立てた機器で、翌年には撮影を開始、最初のSF映画『月世界旅行』(1902)のような特撮作品も作るようになる。

 そして、前任セオドア・ルーズベルトの後押しもあり、選挙戦を圧勝したウィリアム・タフト陸軍長官が第27代米国大統領に就任した1909年(己酉)には、世界中で多くの映画がつくられるようになっていたのである。

 タフトはルーズベルトとウッドロウ・ウィルソンという世界史の中でも目立った存在に挟まれる任期を務め、大統領としての経歴は地味なものだが、日本史の教科書にその名を記す数少ない米国大統領経験者。

 ルーズベルト政権の陸軍長官時代、桂太郎首相と桂タフト協定を結び、日本が韓国を、米国がフィリピンを支配することを認め合った当事者なのである。

 日英同盟やポーツマス条約と合わせ、大韓帝国に対する日本の支配権を列強が認めた形となり、今にまで続く日韓関係の歪(ひずみ)のもととなったわけだが、この年、満州視察のためハルビンを訪れていた伊藤博文が、韓国の民族運動家、安重根に暗殺される事件が起きている。

 その100年後に撮られた「暗殺が失敗に終わっていたら」という「歴史のIF」を描く『ロスト・メモリーズ』(2001)は、随分と論議を呼んだ。

 「最初の映画」の栄誉こそ逃したものの、エジソンは映画撮影の特許を多数保有、この年、大手映画会社のパテントを一括管理するMPPC(Motion Picture Patent Company)が活動を始める。

 そして、過半数の映画館を支配するようになると、この「エジソン・トラスト」の圧力から逃れるように、独立系プロは、東部、シカゴなどからカリフォルニアへと移り、映画製作を始め、そんな中から、やがて、ハリウッドが誕生するのである。

 『ニッケルオデオン』(1979)は、そんな「映画戦争」の時代、独立系プロで奮闘する映画人を描く映画愛に溢れた佳作だが、独立系の急速な成長、そして連邦裁判所の反トラスト法違反との判断で、1915年、戦いは終わる。

 しかし、その頃、欧州では、すでに第1次世界大戦が勃発しており、1917年には米国も参戦、ウィルソンの掲げた「戦争を終わらせるための戦争」という理想主義的スローガンのもと、若者たちは戦場へと向かった。

 戦後のヴェルサイユ条約は米国では不人気だった。熱心だった民主党のウィルソン大統領への反感もあり、労使問題などで荒れる社会への国民の不満を吸収し「常態への復帰 A Return to normalcy」を訴えた共和党のウォーレン・ハーディングが選挙戦を制し、1921年(辛酉)、第29代大統領に就任した。

 今では、その平々凡々ぶりと汚職体質から、史上最悪の大統領の1人に数えられるが、地滑り的大勝利だった。

 戦争の理想と現実のギャップを身をもって知った若者たちの喪失感(lost)は大きなものだった。そして、その「迷い(lost)」による虚無感をまぎらわすかのように、享楽を求め続ける「Lost Generation」の時代となり、既成の価値観は崩れた。