ビートルズのブロンズ像、英リバプール埠頭に登場

英リバプールの埠頭、ピア・ヘッドに建立された「ビートルズ」のブロンズ像〔AFPBB News

 1966年6月29日早朝、4人の英国の若者が羽田空港に降り立った。

 ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター。世界中に旋風を巻き起こすビートルたちである。翌30日夜、日本武道館で初公演。7月1日、2日には昼夜2回の公演。3日午前離日。

 音楽シーンばかりか文化、社会にまで多大な影響を及ぼし、歴史にもその名を残すであろうこのバンドの最初で最後の日本滞在は、100時間あまりのものだった。

 当時の日本の熱狂ぶりを知るには、新聞、週刊誌、音楽誌、テレビ、ラジオなどが伝えたビートルズの記録「ビートルズと日本 熱狂の記録」(大村亨著 シンコーミュージック・エンタテインメント)が参考になる。

8000人の機動隊、警察官

 のべ8000人とも言われる機動隊、警察官が動員され、滞在した東京ヒルトンホテル、武道館、空港などに敷かれた厳重警戒態勢。

 あれは騒音、音楽じゃない、あのオカッパ頭は何だ、と批判する「知識人」たち。神聖なる武道館を使うのはいかがなものか、と反発する人々。「和製ビートルズ」のジャズ喫茶やテレビ番組などでの活躍。ブームに便乗する商魂たくましい人々・・・。

 ビートルズ関連の報道は、来日が決定した4月以降急増、公演のテレビ放送視聴率も60%を記録した。しかし、離日とともに、一般メディアは一気に興味を失った。

 世界を席巻したビートルズ旋風は、様々なドキュメンタリー映像で見ることができる。「ザ・ビートルズ・アンソロジー DVD BOX」のような10時間以上にも及ぶものもある。

 大半の作品を手がけた音楽プロデューサー、ジョージ・マーティンの生涯を綴った『プロデューサー ジョージ・マーティン~ビートルズを完成させた男』(2012)ならその音楽的アプローチも見えてくる。

 「ビートルズの秘書」フリーダ・ケリーのドキュメンタリー『愛しのフリーダ』(2013)は彼らの違った側面を気づかせてくれる。