2016年の夏季オリンピックはブラジル、リオ・デ・ジャネイロで開催される予定ですが、IOC(国際オリンピック委員会)はその準備状況について「過去最悪」という表現を取っています。
建築物などの準備が遅れているほか、市内の治安の悪さ、「ジカ熱」など伝染病の蔓延なども伝えられている。それでも史上3回目の南半球での五輪、史上初の南アメリカ大陸、新興国でのオリンピックには、様々な歴史的な価値があります。
言ってみれば「挑戦する意味がある」=参加することに意味があるという点で、五輪の基本精神に添った様々の価値を見出すことができると思います。
リオでの五輪開催は2009年、デンマークのコペンハーゲンで開かれたIOC総会で決定されました。このとき日本も手を挙げており、東京オリンピック2016のプランがリオに敗れたのでした。
ご批判があると思いますが、このとき一個人としての私はリオを推していましたので、良かったと思いました。
2016年、東京であんな土建屋プランで五輪を開催しても何の意味もないと分かっていましたし、実際その後、2011年に福島の震災などがあったわけで、万が一にも東京になっていなくて良かったと震災後に思ったものでした。
それが、何となくの惰性で提案された2020年東京案が2013年ブエノスアイレスで開かれたIOCで驚くなかれ可決されてしまった。
「お・も・て・な・し」その他のキャッチフレーズはどうでもよく、本質的な内容は2016年東京案と比べてもさらに空疎極まりないと思っていたところに、スタジアム、エンブレムそして裏金による票の取りまとめとIOC調査という顛末。
こうした一連の問題を私個人が見る基準はすべて、2006年に「2016年五輪案」としてJOCに提出され、国内予選で東京に敗退した、幻の「福岡オリンピック」案が起点にあります。
建築家の磯崎新が指導した、極めて前衛的とも言われた福岡五輪案とその背景を知ってしまえば、既存の土建オリンピックなど単なる一過性の営利行為と底が知れてしまいます。
一芸術家として五輪と関わる可能性を一時は真剣に考え、その後、無内容なオリンピック商法の専横を目にしてしまえば、音楽家としておよそあらゆる真面目な興味を失わざるを得なかった。私の五輪を巡る思考のすべては、磯崎さんとの対話が基礎になっています。