伊勢志摩サミットでいくつかのニュースが報道の背後に回った感がありますが、先日来ここで考えてきたオリンピックの問題に収拾をつけておきたいと思います。
19世紀後半は「世界が本当に世界になった」時期でした。
何より、日本にとっては明治維新とそれに先立つ開国で、世界とつながるまでは、260年来まさに「鎖国」の状況にあった。
ペリーが浦賀に来航し、日本が国際社会に窓を開き始めた1853年は、フランス、英国、そしてイタリア統一以前の南欧の雄サルディニアが後押しをするオスマン・トルコ帝国が、南下政策をとるロシアとぶつかったクリミア戦争が勃発しました。
戦場は黒海北岸のクリミア半島にとどまらず、黒海にそそぐ欧州で2番目に大きな大河ドナウ川流域から遠くカムチャツカ半島にまで及び、実質的な最初の世界大戦と呼び得る前例のない大規模な戦争になってしまいました。
が、これと同時にクリミア戦争が重視されるのは、戦争終結直後に戦時景気の反動で穀物価格が各国で同時に急落し、人類史上最初の「世界恐慌」を引き起こした点です。
世界大戦と世界恐慌、これらがほとんど同時に地球上に登場したタイミングで、日本は黒船の来航を迎え、日米和親条約や日米修好通商条約が結ばれ、桜田門外の変で井伊直弼が惨殺され・・・という近代化を迎えた。
この歴史的偶然は、日本がその後、東アジア髄一の先進国として発展する端緒を与えた面があるでしょう。
そしてもう1つ、この同じタイミングで平和と通商面から「世界」を結ぶ動きが表れたのでした。「万国博覧会」です。