プロローグ/ウラジーミル・プーチン大統領誕生
旧ソ連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)は1991年末に解体された。ソ連邦を構成していた15の民族共和国は独立国家となり、旧ソ連邦の盟主“ロシア共和国”は新生“ロシア連邦”に衣替えとなった。
新生ロシア連邦のボリス・エリツィン初代大統領は1999年12月31日、唐突に大統領辞任を発表。後継者として、ウラジーミル・プーチン首相を大統領代行に任命した。プーチン候補は翌年3月の大統領選挙にて当選。同年5月新大統領に就任し、カシアノフ新内閣が誕生した。
プーチン新大統領は2000年7月、モスクワのクレムリンで就任後初の大統領年次教書を発表。同教書では「大国ロシアの復活」を標榜し、「強い国家を実現しなければ国が分裂して、国民は不幸になる」との認識を示し、中央集権国家の確立を目指した。
2期8年の大統領職を務めたプーチン大統領は2008年5月、(大方の西側予想を裏切り)連続3選を禁止するロシア憲法の規定に従い、大統領職を退任。後継者に、ドミトリー・メドベージェフ第1副首相(前大統領府長官)を指名した。
2008年3月に実施された大統領選挙では、プーチン大統領から後継指名を受けたメドベージェフ候補が当選。メドベージェフ新大統領は2008年5月ロシア大統領就任と同時に、プーチン前大統領を首相に指名。
ここにいわゆる「タンデム(2頭立て馬車)政権」が発足した。メドベージェフ大統領の任期中に、大統領任期は従来の4年から6年に、ロシア国家院(下院/日本の衆議院相当)の任期は4年から5年に延長された。
プーチン首相は2012年5月7日、同氏にとっては第3期目のロシア大統領に就任した。就任後直ちに、メドベージェフ前大統領を首相候補に指名。翌8日、メドベージェフ首相候補はロシア下院過半数の賛成をもって、新首相に選出された。
プーチン首相時代にロシアのエネルギー分野を管掌していたイーゴリ・セーチン前副首相は、メドベージェフ首相より国営石油会社ロスネフチ社長候補に指名され、同社社長に就任した。
プーチン大統領は3期目最初の大統領年次教書を、ロシア憲法記念日の2012年12月12日に発表。その中で「21世紀には、ロシア発展のベクトルは東方に向かう」と明言した。
2回目の大統領年次教書は、2013年も憲法記念日の12月12日に発表された。同年次教書は新生ロシア連邦が誕生してからちょうど20回目の年次教書となり、プーチン大統領にとっては記念すべき第10回目の年次教書発表となった。