世界中で昔から広く飲まれ、文化との関わりも深いワイン。今や華やかなレストランのみならず、家庭でもテーブルに並ぶのが一般的になってきている。
しかし、日本の各地でワインが作られ、そして当たり前に飲まれるようになったのは、つい最近のこと。どのようにして日本のワイン造りが始まり、そして人々がワインを楽しむようになったのか。
現在、国立科学博物館で開催中の「ワイン展-ぶどうから生まれた奇跡-」(以下、ワイン展)では ワインの歴史や文化、基本的な造り方から、ワインを楽しむためのヒントまで、ワインにまつわるストーリーを幅広く紹介している。
ワイン展のZone 2「ワインの歴史」で、日本のワインの歴史の監修した沓名貴彦(くつな・たかひこ)氏に話を聞いた。
殖産興業としてのワイン造り
――日本のワイン造りは、明治期に2人の若者、土屋龍憲(つちや・りゅうけん)と高野正誠(たかの・まさなり)が、フランスへワイン造りを学びに行った頃から始まったとされています。そのきっかけや背景などを教えてください。
沓名氏(以下、敬称略):元々は、まず国主導でブドウ作り、ワイン造りをしてきた背景があります。いわゆる殖産興業として進んできたことです。
明治に入ると日本は開国し、外国人も訪れて来るようになりました。そこで政府は本格的に西洋野菜や果物を導入します。その中心の1つにブドウがあり、加工品としてのワインに着目しました。
岩倉使節団も、ヨーロッパ視察中にワインが輸出品として重要な産業であることを見てきました。これが日本でも産業の1つの柱になるのではないかと考えたのです。
明治維新前後から海外へ渡った日本人の中には、アメリカなどでブドウ栽培技術を学び持ち帰った人もいました。