東大阪市にある、フジキン大阪工場の正面玄関を入っていくと、いきなり大きなダルマが目に飛び込んでくる。

 苦しい時に頑張る精神を表し、七転び八起き、転んでもただでは起きない根性、「不撓不屈」の精神を意味している。フジキンの「経営」と「精神」の象徴だ。

 フジキン社内は至る所ダルマだらけだ。受付、応接室、PR用陳列棚、廊下。壁はもちろん、天井にも、床にも。先代社長の小川修平さんが若い頃、京都の法輪寺(全国ダルマ寺会の会長)からいただいたダルマを社のシンボルに決めたという。

販売店から技術先端企業に脱皮

(株)フジキン
〒530
大阪府大阪市西区立売堀2-3-2

 フジキンは、1930(昭和5)年に創業者の小島準次さんが「小島商店」という屋号で大阪市港区で機械工具販売を始めたのが始まりだ。その後、戦争が激しくなるとともに小島さんが徴用され、開店休業状態になったが、終戦とともに復員し、工具・機械器具店を再開した。

 当時の日本のバルブ業界は技術的にも未熟で、ガスの微妙な流量調節ができない。輸入品は高いし、外貨規制で容易に輸入できない。「もう少し微妙な流量調節ができるバルブが国産できないのか」という顧客の要求に応え、小川さん(先代社長)がガス流量調節法の研究開発を行い、試行錯誤の末1953(昭和28)年に「ニードルバルブ」の開発に成功した。

 これが、小島商店(後のフジキン)が販売店から技術先端企業に脱皮する大きなきっかけになった。その後は、顧客の要望に応える形で次々に開発を続け、今も先端技術市場に挑戦し続けている。

 例えば、ある原子力関連企業がフジキンの小型高圧バルブ技術に注目し、共同開発をすることになった。この時フジキンが献身的に開発に協力し、困難な問題解決に努力したため大いに評価された。「フジキンは徹夜してでも問題を解決し、間に合わせてくれる」と噂になって、宇宙分野の受注にも広がっていった。