文部省が文系学部の改廃を求めたのに対して、文系学部のある国立大学60校中26校が、要請に基づいて学部の再編を行う。この報道に接し、大学に籍を置くものとして少し書いてみたい。
6月8日に文部科学省から通知された「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」では、別紙の「国立大学法人の第2期中期目標期間終了時における 組織及び業務全般の見直しについて」の中で、以下のように記されている。
「特に、教育養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」
このようなことが行われる背景には文部行政だけでなく、日本人の教育観があると思う。多くの人は大学を、人生を豊かに送るための教養を身に着けるところではなく、社会に役立つ実践的な技術を学ぶ場と考えている。日本の大学は知への渇望が生み出したものではない。その全てが明治以降に作られたものであり、国家主導のもとで西欧に追いつけ追い越せを合言葉に、社会に役立つ技術を輸入する場だった。いまさら、この部分について議論しようとは思わない。
今後も工業の振興で国家は隆盛するのか?
ここで議論したいのは、「理系が国家の発展に寄与する」と思っているところである。多くの人は、工業部門の隆盛が国家を繁栄に導くと考えている。だから、理系教育を充実させようとする。
だが、図1を見て欲しい。これはGDPに占める工業生産額の割合を示したものである。図には日本を含む先進5カ国を示した。大阪万博に沸いた翌年の1971年、日本の工業部門はGDPの44%を生み出していた。だが、それは2013年には26%にまで低下した。
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