毛沢東の肖像画が掲げられている北京の天安門広場

 今から39年前の1976年9月9日、毛沢東元国家主席が死去した。中国共産党の文献では、当時の中国経済は破たん寸前にまで陥ったと言われている。

 共産党中央は毛沢東の死去をきっかけにその功罪を総括した。それによれば、毛沢東の政策のうち功は7割であり、過ちは3割だったという。ただし、その総括の根拠は示されていない。

 毛沢東は中華人民共和国の建国に大きく貢献したが、建国後に何か正しいことを行ったのだろうか。毛時代の中国では、最低2000万人、一説によれば4000万人以上の人が迫害や飢えで犠牲になったと言われている。

 その犠牲者の数から、毛沢東は、ヒトラー、スターリンと並んで20世紀の三大暴君の1人と言えるだろう。特に毛沢東は、かつてともに戦った将軍たちのほとんどを迫害し、死に至らしめた。自らの権力基盤を固めるためである。また、知識人も迫害を受け、数百万人が犠牲になった。さらに、地主や資本家も多くが殺害された。そのうえ文化大革命において、中学生以上の学生は農村に「下放」された。このような暴挙によって、中国社会は知識をないがしろにする「無知の社会」になっていった。