パソコンや携帯電話といった電子消費財において、いまや日本メーカーの存在感は希薄化する一方、というのが内外の見方である。

 製品企画に関しては、創造性、対応速度ともに海外勢に圧倒されて久しい。作る量とコストでは新興国に追い上げられ追い越されて、消耗戦に追い込まれている。特にメモリーチップなどの要素技術はその傾向が強い。

 この状況から脱出するための鍵は、電子機器の世界ではなぜか「常識」として済まされている「工業製品としての非常識」にある。前回はその概念をお話しした。今回は私自身の「負の体験」から、その具体的な内容に踏み込んでゆこうと思う。

新世代電池の耐久性は工業製品として「非常識」

 その当時の最新、かつハイスペックなモデルを購入して2年。私のノートパソコンに同時多発的に発生したトラブルは、こうした機器が今抱えている「工業製品としての非常識」を実感するものばかりだった。

 まずは、電池である。

 リチウムイオン電池の実用化によって確かに容量は増え、電源につながないまま使える時間は増えた。とはいえ、ディスプレイは明るいまま「重い」ソフトウエアを走らせると、カタログ表記の何分の1かの時間でバッテリー残量は「エンプティー」に近づく。

26カ月でパソコン側のバッテリー管理ソフトから認識不能になってしまったバッテリー。写真は無償交換されてきた新品。オプションの大容量品を選び、しかも容量ぎりぎりまで使い切ったことはほとんどなく、たいていは外部電源を接続して使っていたのだが。出力11.1Vなので4セル直列構造と思われる。さすがにソニーの電池は日本製(ソニーエナジー・デバイス社が製造しているはず)。ちなみにこの容量の電池で電気自動車を走らせようとすれば2000本以上が必要(現状の航続能力でも)。

 しかも「全放電~全充電」の繰り返し、特に過放電、過充電がバッテリー劣化を早める。だから私はできる限り外部電源につないで使うようにしている。それでも26カ月で、パソコンがバッテリーを「認識」しなくなったのだ。

 リチウムイオン電池(今、携帯電子機器に使われているのは「リチウムイオンポリマー電池」と呼ばれるもの)は、正負極の材質と電解液の組み合わせによって何種類かある。いずれにしても、全充電~全放電を繰り返して劣化が明らかに現れる、つまり電力を蓄える能力が低下するまでの回数は、一般に数百回、改良が進む中で最良のものでも1000回、と言われている。

 ということは、携帯電話のように毎日この充放電繰り返しを行いつつ、今や常に電源オンの状態が常識の機器では、1年余りで電池が劣化しても不思議はない。それが電池の「性能」の実情なのである。

 それにしても、常に電源を入れたままでもなく、充放電も「浅い」レベルで止めていた私のパソコンの電池が2年で「新品に交換」になるとは・・・。

 電池に限らず、こうした突然の機能不全については、「保証期間を過ぎたところで時限装置が内蔵されているように発現する」という印象から「○○○タイマー」とか「○○○バクダン」という呼び方が口さがないユーザーの間で慣用句となり、インターネット上を飛び交っている。検索すれば大量の体験談が現れるので、この種の耐久性問題を不快に感じ、でも諦めるしかないか・・・と思っている人々が相当いることを今回改めて認識した。

 携帯電話については、1~2年で電池が劣化して交換、あるいはその機会に電話機そのものを買い替える、というのが「当たり前」になってしまっている。

 こうした「常識」が、工業製品としては異常なことだと、私などは思うのである。つまり「耐久性」という意味で、リチウムイオン電池に代表される新世代電池は、まだまだ「実用十分」なレベルには達していない。

「組電池」の耐久性をいかに高めるか

 電池を開発し製造する企業と関係者がその事実と正面から向き合った時、ごく当たり前でありながら、「新しい」可能性が見えてくる。

 これまで、開発の意識と工数は、既存の2次電池(繰り返し充放電が可能な電池)と比較して格段に「エネルギー密度の高い」リチウムイオン電池をいかに実用化するか、とりわけ、発火性があるなど難しい部分をいかにクリアして安定した「量産品」にするか、そしてそのコストをいかに下げるか、というところに集中していた。