12月23日に逝去した梶本克一・元宝塚市議会議長の長男である梶本一郎氏と、次男の梶本泰弘氏の2人をスタジオに迎えた今回の『中山泰秀のやすトラダムス』(12月28日放送/Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)。2005年の梶本氏逮捕報道の裏側について語ったほか、中山氏が日本の雇用形態について提言した。
議員辞職を条件に被害届を取り下げると言った弁護士
中山 今回は、12月23日に逝去された元宝塚市議会議長・梶本克一氏のご子息である長男の梶本一郎さんと、次男の泰弘さんをお招きしています。
梶本氏は生前、1983年から6期にわたり市議を務め、うち計4回議長に就いてご活躍されました。そのご子息のお2人に今回おいでいただいたのには、ある理由があります。まずは2005年5月25日に時事通信が配信した次の記事をご紹介します。
「大阪府警東署は24日、電車を降りようとした女性の下半身を触ったとして、兵庫県宝塚市中山桜台、同市議の梶本(克一)容疑者を強制わいせつの現行犯で逮捕した。調べによると梶本容疑者は同日午後5時40分頃、大阪市中央区のJR大阪城公園駅に停車した電車内で、降りようとした女性(23)のまたの下に左手を入れ触った疑い。梶本容疑者は女性に手を捕まれ、JR職員に突き出されたが『太ももに左手が当たったが、それ以上の行為はしていない』と否認している。」
今から約10年前、梶本氏はJR大阪城公園駅において痴漢の容疑で現行犯逮捕されました。捕まった梶本氏はそのまま留置所に入れられましたが、被害者を名乗る女性の代理人である弁護士が突然訪れてこう言ったそうです。
「被害届を取り下げてもいい。ただし、条件が2つある」と。その1つ目は、梶本氏が市議会議長の職責を放棄して議員辞職すること。2つ目は、釈放後に相手側の女性について調べたり訴えたりしないこと。
通常、弁護士が出てくるタイミングは留置所よりも容疑者が拘置所や刑務所にいる場合が多いため、梶本氏は違和感を覚えたそうですが、一刻も早く留置所を出なければならないと思い、その条件をのんで身柄を釈放されました。
梶本氏は釈放後に議員辞職し、世間から相当なバッシングを受け、彼のご夫人は心労が重なり脳梗塞で倒れてしまった。その影響で今もお身体の自由が利かないといいます。
実は当時、梶本氏の所属する市議会側と市長側が対立関係にあったことが分かっています。その対立の中で、梶本氏が陥れられたおそれがあるということで、後に関係当局が調査をすることになった。そして調査の結果、梶本氏が冤罪によって「政治的に抹殺」された可能性が浮上したそうです。
続けて起きた元宝塚市長の贈収賄事件
梶本氏が逮捕されてから数カ月後、今度は日刊スポーツが「収賄で宝塚市長逮捕、パチンコ店に便宜」というニュースを報じました。