50年前の今日10月10日、東京オリンピックは幕を開けた。

 アジア初開催となったこの大会は、東京というメトロポリスが、大空襲による荒廃から完全に立ち直り、急速に巨大インフラを備えていく絶好の機会ともなった。

先進国なみを目指し突貫工事で東京が大変身

初代新幹線「0系」、ラストランで44年の歴史に幕

富士山をバックに走る東海道新幹線〔AFPBB News

 市川崑監督作『東京オリンピック』(1965)でも、古いビルが壊されるシーンが冒頭を飾る。大会に先立ち、1兆円を超える血税が注ぎこまれ、「先進国なみ」を目標として進められた突貫工事で、東京は急速に変貌を遂げたのである。

 都心の風景を道路は大きく変えた。まだまだ泥道が当たり前の時代に、2つのメーン会場をつなぐ青山通りは拡幅され、環状7号線の交差点には立体交差も登場した。

 限られた時間で用地を獲得する必要性もあって、主に水路の上が利用され、羽田空港と都心、会場を結ぶ幹線道路として首都高速も造られた。

 しかし、それは、道路元標のある歴史と文化を感じさせる日本橋を、高架橋下の日陰へと追いやる結果ともなった。

 大会直前の10月1日には、東海道新幹線も開業した。当初、故障が多く、不安視されたものの、あれだけ高速で、極めて緊密なダイヤを組みながら、時間に正確で、何よりも今に至るまで死亡事故ゼロという実績は、間違いなく世界に誇れるものだ。

 10月末公開となった田宮二郎主演作『黒の超特急』(1964)には、開業間もない「夢の超特急」新幹線の姿があり、当時の日本の風俗も見てとれる。

 観光客を受け入れるべく、部屋数不足が叫ばれた宿泊施設も建設ラッシュに沸いた。日本を舞台とした『007は二度死ぬ』(1967)で、ジェームズ・ボンドの敵となる日本人ビジネスマンのオフィスも、そんな時代に建てられた豪華ホテルの1つ、ホテルニューオータニだった。

 広々としたロビー、複数のレストランとバー、大ホールをも備える新規格の豪華ホテルは、のちに火災で多くの犠牲者を出してしまうホテル・ニュージャパンなど、ほかにも数多く建てられた。