元衆議院議員の中山正暉氏を電話ゲストに迎えた今回の『中山泰秀のやすトラダムス』(9月28日放送/Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)。中山氏の父であり政治の師でもある同氏と、ロシアや中国をはじめとする近隣諸国との外交関係や国内外のニュースなどについて語った。

野党筆頭理事として核廃絶議論に奔走した土井たか子氏

中山(泰) 今回は、元衆議院議員で建設大臣、郵政大臣、国土庁長官、総務庁長官を歴任した私の父である中山正暉がゲストです。

 9月20日に、元衆議院議長で旧社会党委員長・社民党党首を務めた土井たか子氏が死去されましたが、土井さんと私の父は1969(昭和44)年の衆議院選挙で同期当選した間柄でもあります。土井さんとの思い出に残っている出来事はありますか。

中山(正) 土井さんは私より3歳年上の85歳で、もともと同志社大学で憲法学の講師を務めていましたが、1969年12月の衆議院選挙に旧社会党から立候補して初当選されました。

 私と所属政党は違ったものの、とても仲良くさせてもらいましたし、思い出深いエピソードもたくさんあります。中でも忘れられないのは、鈴木(善幸)元首相が在任中に国連軍縮特別総会で演説を行った時のことです。私は外務委員長を務めていて、この時の野党筆頭理事が土井さんでした。

 当時は「究極的核廃絶」の議論がなされており、野党側は「究極的」という言葉を外そうとしていたのに対し、我々はソ連の核脅威を考えて「やがて核をなくすのは賛成だが、今すぐに究極的という言葉を外して核廃絶を目指すのは難しい」と反対していました。双方が主張を譲らず、国会審議は結局約15時間も止まってしまいました。

 ちょうどその時、私は天皇・皇后両陛下主催の園遊会に招待されていたのですが、それを知っていた土井さんが国会をわざわざ休会してくださり、私が園遊会に行けるように配慮してくれたんです。

 そのおかげもあって、私は皇居にお邪魔して昭和天皇陛下に直接国会の進捗状況を申し上げることができました。あの時のことはとても感謝しています。

中山(泰) その園遊会の後、休会中だった国会はどうなったのですか。

中山(正) 結局、核廃絶に関しては「究極的」という言葉を入れた上で鈴木元首相が国連で演説を行いました。与野党の意見対立や食い違いはあったものの、土井さんが中心となって最終的にはこちら側の考えを尊重してくれたのです。

 当時も今も核について議論がなされていますが、こうした国際的な条約や取り決めは一筋縄にはいかない難しさがあるでしょう。

 例えば、ロシアには「条約はパイの皮と同様、中身を食べるために必ず破られる」という言葉が存在しますが、この国は終戦間際に日ソ中立条約を破って日本に戦争を仕掛け、北方領土を奪ったという歴史的事実もある。