人気絶頂のさなかの衝撃的な死から20年、リヴァー・フェニックスが大スクリーンに帰ってきた。蘇った「幻の遺作」『ダーク・ブラッド』(2012)が、現在、劇場公開中である。
帰ってきたリヴァー・フェニックス
ベン・E・キングの大ヒット曲とともに鮮烈な印象を残した『スタンド・バイ・ミー』(1986)の子役時代から着実にキャリアアップ、ジェームズ・ディーンと比較される存在にまでなった人気若手俳優が、ハリウッドのナイトクラブ近くで不慮の死を遂げたのは、『ダーク・ブラッド』撮影が進む1993年10月31日、ハロウィンの早朝のことだった。
既に多くが撮影済みだったとはいえ、キーとなるシーンは未収録。代役を立て完成させることもなく、お蔵入りとなったフィルムはプロデューサーのもとに眠っていた。
それが処分される運命にあることを知ったジョルジュ・シュルイツァー監督が自ら入手に乗り出し、紆余曲折の末、2012年、「欠落」シークエンスを自らのナレーションで埋める編集手法で映画作品として蘇らせたのである。
リヴァ―の訃報からさかのぼること7か月前の3月31日、ハロウィン前夜に非業の死を遂げた若者が蘇り復讐を重ねていくという新作ダーク・ファンタジー映画の主演男優も、撮影中の事故で28歳の生涯を終えていた。
撮影の大半が終っていたフィルムは、脚本の書き換え、スタンドインによる撮影、デジタル合成などの過程を経て、翌1994年5月、映画『クロウ 飛翔伝説』(1994)となり公開された。
その男優とはブランドン・リー。いまや伝説のカンフー・スター、ブルース・リーの息子である。
そんなブルース・リーにも、「遺されたフィルム」があった。
1972年、既に香港の大スターの座にあったリーは『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』(1972)を完成させ、続いて、新作「死亡的遊戯」のクライマックスシーンも撮り終えた。
そこでハリウッドから入ったのが『燃えよドラゴン』(1973)の出演オファー。「死亡的遊戯」製作は、翌73年に持ち越された。
しかし、7月20日、不世出のカンフー・スターは32歳で急逝。『燃えよドラゴン』の監督ロバート・クローズは、遺されたフィルムを使い、新作映画『ブルース・リー 死亡遊戯』(1978)を作り上げた。
とは言え、「死亡的遊戯」から使われたフィルムは十数分程度。残りはリーの代役3人とハリウッドキャストによる追加映像で、過去の作品からのカットも挿入された苦肉の編集作品は不自然さも目立ち不評だった。