4月10日、台湾で24日間にわたって立法院を占拠していた学生たちが自主的に撤退した。学生たちの行動は、日本に置き換えてみれば国会議事堂を学生が占拠したに等しいから、過激な行動であったことは間違いない。しかし、その行動は非暴力に徹し、非常に組織立って遂行されたこともあり、これら学生たちを多くの台湾市民が支持したことも事実である。台湾ではこの学生運動を「ひまわり学運」と呼称している。
学生たちによる立法院占拠のきっかけは、中台の自由貿易取り決め(「経済協力枠組み協定」: ECFA)に依拠し2013年6月に中台間で調印された「サービス貿易協定」の批准手続きを、与党・国民党が強硬に採決しようとしたことである。与党・国民党は規定の3カ月の討議期間が過ぎたことを理由に採決の審議を打ち切ったのだった。
「なし崩し的な中台統一」実現への懸念
学生たちの行動は、野党・民主進歩党との連携に基づくものではなく自主的な行動であった。なぜ、この学生たちの過激な行動に支持が集まったのか。
中台の緊張緩和を訴えて誕生した馬英九政権は1期目の2010年6月に中国との間でECFAを締結し、同年9月には発効した。東アジア地域で進展する自由貿易協定(FTA)のネットワークから取り残されてきた台湾にとって、中国とECFAを締結することによって他国との自由貿易協定策定に向けた協議開始のきっかけとしたかったことは明らかだった。
実際、その後、台湾とシンガポールやニュージランドとの間で自由貿易協定が締結されている。そうした意味で言えば、馬英九政権のECFA推進は、台湾を東アジアで進展する自由貿易協定のネットワークに組み入れるための「正しい選択」であったし、中台経済関係の発展を台湾の市民も受け入れたからこそ、2013年に馬英九が総統に再選されることとなった。
ただしうがった見方をすれば、台湾の選挙民は、馬英九政権の選挙公約であった「不統、不独、不武(統一せず、独立せず、武力行使させず)」という対中政策のうちの、中国との「統一せず」という公約について、総統就任後馬英九自身が「統一という選択肢を排除するものではない」と発言したこともあって疑念を抱いていたが、野党・民進党が馬英九政権の対中政策よりも支持を集めることのできる穏当な政策を打ち出せなかったことが馬英九再選につながったと見てよいだろう。その馬英九政権の1期目は、ECFA締結という成果を得たとは言いながら、リーマン・ショックもあり台湾の経済状況は低迷したままであったから、2期目を目指す馬英九は厳しい選挙戦を戦わざるを得なかった。